ADHD大国アメリカ つくられた流行病
■キース・コナーズが問いかけたことー訳者あとがきに代えてー デューク大学の同僚であり、盟友でもあったアレン・フランセスによって、死の翌日に公表されたキース・コナーズ追悼文は、以下のように始まっている(BMJ;358:j2253, Published 2017 July 06)。「2017年7月5日に亡くなる直前、キース・コナーズはこの追悼文の執筆に協力してくれた。彼は自分自身のことについて語りたかったわけではない。注意欠如多動症(ADHD)について最後の警告をしたかったのである。50年前、彼はこの疾患の存在を明らかにし、概念の正当性を立証するために尽力した。それにも関わらず、最近ではその使用に全力でブレーキをかけようとしていたのである」。 コナーズはそうせずにはいられなかった。小児期のADHDの本当の有病率は2〜3%程度だと考えていたにも関わらず、アメリカにおいて診断される子どもの割合は異