著書・訳書

「治療者と家族のための境界性パーソナリティ障害 治療ガイド(黒田章史著、岩崎学術出版)」

■あとがき

意図したわけではないが、本書はずいぶん変わった本になってしまったと自分でも思う。それは本書で取り上げられている治療構造や治療技法が、既存の書物とは異なっていることも一因ではあるけれど、それ以上にー本書の第三章の用語を用いるならーBPD患者が「治る」という言葉の意味のプロトタイプ(典型例)が大きく異なるためである。言うまでもないことだが、世の中にはBPDに対してさまざまな治療法があり、それに応じてさまざまな「治り方」があることだろう。しかしそれらさまざまな「治り方」のうち、どのような「治り方」がBPDの典型的なふつうの「治り方」であり、どのような「治り方」がそうでないかを評価する際に、私は今や他の論者とはずいぶん異なる判断をするようになってしまった。

では私にとっての「治る」とはどのようなことを言うのかと問われるなら、本書の第七章と第八章を見てくださいと答えるしかない。そこではDSMの診断基準に挙げられているようなBPDの症状が顕著に認められる頃から始められた、BPD患者の心理社会的機能を改善するための介入が、それらの症状が消失した後に至るまで一貫してなされているのがわかるだろう。診断基準に挙げられているような症状は消失しているのに、治療的介入を引き続きおこなうのはなぜかといえばその理由は簡単で、BPD患者の心理社会的機能が改善されない限り、彼らの抱える苦痛が真に和らぐことはないからである。

これは従来のBPD治療の枠組みから見るなら、おそらく「<治ること>の基準を大幅に引き上げた」ことに相当するのだろうけれど、困ったことにもはや今の私にはこれ以外のBPDの「治り方」が、あまりピンと来なくなってしまっているのである。もちろん私が治療した患者が、ことごとくそうした「治り方」をしているわけではない(そうだったらどんなに良かっただろう!)。私の力不足により、あるいは他のさまざまな事情によって、このような「治り方」にまで至らなかった患者だって存在する。

それでも家族の全面的な協力さえ得られるなら、本書に述べられているような改善が多数例において可能であることについて、今の私は何の疑いも持っていない。この疾患に悩む患者や家族の悩みが解消されるためにも、BPDが「治る」という言葉の意味のプロトタイプ(典型例)が、本書で論じたようなものへと移行していく日が一日も早く訪れるよう私は切望している。

編集者の小寺美都子さんに本書の構想について話し、「ぜひやりましょう」ということになったのが2006年のことだったと思う。「ある程度原稿がまとまったら」ということで待ってもらっている内に、いつの間にか時は移り2009年になっていたが、原稿はほんの少しだってたまっていく気配はなかった。業を煮やした小寺さんが毎月のように「原稿を取りに来る日」を設けることになり、それからようやく少しずつ本書が形をなし始めたのである。小寺さんの忍耐力には本当に脱帽し、感謝するしかない。

それから私の妻である黒田知代の貢献についても触れておかないわけにはいかないだろう。冗談でなく本書の成立に対して最大の理論的影響を与えたのは、私の師である下坂幸三を除けば彼女である。またこれまでに私が書いた発表原稿や論文と同じように、本書についても彼女が全ての文章に目を通し、瑕疵(かし)を指摘してくれた。彼女から受けたさまざまな恩恵には、いくら感謝しても仕切れないほどである。

最後に本書を2006年に永眠した故下坂幸三に捧げる。

2014年1月

黒田章史