著書・訳書

ADHD大国アメリカ つくられた流行病

キース・コナーズが問いかけたことー訳者あとがきに代えてー

デューク大学の同僚であり、盟友でもあったアレン・フランセスによって、死の翌日に公表されたキース・コナーズ追悼文は、以下のように始まっている(BMJ;358:j2253, Published 2017 July 06)。「2017年7月5日に亡くなる直前、キース・コナーズはこの追悼文の執筆に協力してくれた。彼は自分自身のことについて語りたかったわけではない。注意欠如多動症(ADHD)について最後の警告をしたかったのである。50年前、彼はこの疾患の存在を明らかにし、概念の正当性を立証するために尽力した。それにも関わらず、最近ではその使用に全力でブレーキをかけようとしていたのである」。

コナーズはそうせずにはいられなかった。小児期のADHDの本当の有病率は2〜3%程度だと考えていたにも関わらず、アメリカにおいて診断される子どもの割合は異様なほどの上昇を続け、15%に達していたためである。彼が作った「コナーズの評価尺度」が誤用されることを通して、何百万人もの子どもたちが過剰診断され、過剰投薬を受けていた。どれほど意図していなかったとしても、このような事態を招いてしまったことに関して、コナーズは自分の果たした役割を受け入れたのだ。

医療や企業の関係者によって診断が歪曲され、ADHD臨床が大きく道を踏み外していると判断したコナーズは、自らが構築したシステムを批判するために立ち上がった。さまざまな記事や専門家の会議で、彼が抱いている危惧について論じたのである。本書の著者であるニューヨーク・タイムズの記者、アラン・シュワルツとはその最中(さなか)で知り合い、協力関係を築くようになった。その初期の成果は同紙2013年12月14日の記事「注意欠如症を売り込むー20年にわたる医薬品販売キャンペーンで診断数が急増ー」となって結実した。

その記事の中で、シュワルツの取材に対してコナーズはこう答えている。「数字を見れば、この病気(ADHD)が流行しているように見えます。しかしそうではありません。これは前代未聞の不当なレベルで薬を投与することを正当化するためのでっち上げ(concoction)なのです」。その語気のあまりの鋭さに、いささかたじろぐ読者もいるかも知れない。また本書の中でも触れられているように、彼が依拠していたCDC(疾病対策予防センター)のデータの精度について疑問視する研究者がいたのも事実である。

だがコナーズの危惧は杞憂ではなかった。今年(2021年)になって公表された、ADHDの過剰診断に関するスコーピングレビュー(既存の知見を網羅的に配置した上で、ガイドラインに沿って整理し、研究が行われていない領域を特定することを目的としたレビュー)は、この疾患が実際に過剰診断され、過剰投薬がおこなわれていることを明白に裏付けるようなエビデンスを見出したのである(Luise Kazda他;Overdiagnosis of Attention-Deficit / Hyperactivity Disorder in Children and Adolescents. A Systematic Scoping Review, JAMA Network Open.;4(4): e215335. 2021)。

ADHDと診断される青少年の数は、アメリカでは数十年にわたり、一貫して増大して来た(これは必ずしもアメリカのみにみられる現象ではなく、例えばスウェーデンでは2004年から2014年までの10年間で生涯有病率が5倍以上に増えている)。だがこれは、時と共に青少年のADHD行動が増大していることを意味していたわけではなかった。チェックリストで確認された問題行動の数は、変化していないか、むしろ減少していたのである。そこから容易に予想されることではあるが、新たに見出された症例の大半は、軽症である可能性があることも明らかになった。

軽症例の診断が増えることのどこが問題なのか、訝(いぶか)しく思う人もいることだろう。それはADHDに対する認識が向上し、医療へのアクセスが改善された結果であり、むしろ良いことではないのか。だが本書に登場する少女クリスティンが辿った経過を見れば解るように、軽度の症状を示す青少年をADHDと診断し、治療をおこなうことにはさまざまなリスクが伴う。

たとえばADHDと診断されることにより、患者が無力感や恥辱感を抱き、消極的になる恐れがあること、さまざまな問題に対する、周囲の人々の責任感が低下する可能性があることは比較的良く知られている。また生物医学的説明がなされることは、症状の背後にある個人的、社会的、そしてシステム的な問題から目を逸(そ)らすことに繋がりかねない。これらは相まって、治療にマイナスの影響を与える可能性がある。

例えそうしたリスクがあったとしても、それを補って余りあるほど症状の改善が見込めるなら、軽症例を積極的に診断することにも意義は見いだせるかも知れない。しかし症状が軽度になるに伴い、治療の効果は減少することが知られている。また処方された精神刺激薬が、見逃されていた精神疾患を悪化させたり、乱用を引き起こす可能性も決して少なくない。

キャズダらは、症状の軽い青少年をADHDであると診断・治療することの、長期的なメリットやデメリットをテーマとした研究が不十分であると指摘した上で、軽症例に対して診断や治療をおこなうのはメリットに乏しく、有害性の方が上回っている可能性があることに注意を促している。

ちなみに軽症例の診断や治療が増加しているのは、決してADHDだけに限られたことではない。例えば最近おこなわれたメタ分析は、自閉スペクトラム症の患者と、そうでない人との間の違いは、この15年間減少し続けていることを示している(Eya-Mist Rødgaard他;Temporal Changes in Effect Sizes of Studies Comparing Individuals With and Without Autism : A Meta-analysis. JAMA Psychiatry. 76(11):1124-1132. 2019)。これは現在自閉スペクトラム症と診断されている人々が、以前は正常範囲内とみなされてきた者も含めた、不均一な集団となりつつあることを意味している。

こうした診断のインフレが起こった原因として、アレン・フランセスらは以下の2つの事項を挙げている(Laura BatstraとAllen Frances ;Diagnostic Inflation-Causes and a Suggested Cure. J Nerv Ment Dis ,vol.200: 474-479,2012)。まず1980年に米国精神医学会が「精神疾患の分類と診断の手引き第3版(DSM-III)」を出版したことの影響が挙げられる。DSM-IIIは様々な領域において、多くの新しい診断を導入した。それらの診断の閾値(いきち)は低く、達成しやすかったため、高い有病率が作り出されることになった。DSM-Ⅲに始まったこうした問題は、本質的な改善を見ないまま、現行のDSM-5に至るまで一貫して引き継がれているのである。

第二に製薬会社の大きな後押しがあったことが挙げられる。残念ながら精神医学には客観的な生物学的検査や、診断に関する明確な境界線が存在しない。本書にも詳細に述べられているように、大手製薬会社は精神医学のそのような弱点を最大限「活用」した。向精神薬販売促進のため、莫大な資金力とマーケティング力を駆使して、まず精神疾患を売り込むことに力を注いだのである(現在「売り出し中」の精神疾患としてアレン・フランセスが挙げている中には、ADHDに加えて自閉スペクトラム症、双極性障害、うつ病が含まれる)。

こうした診断のインフレを抑制し、不必要な治療により生じる損害とコストを削減すること、そして過剰診断と嘲笑から精神医学を救うことに、キース・コナーズは人生最後の時期を捧げた。驚くほど膨大な取材に基づいて本書を書き上げたアラン・シュワルツの尽力と共に、我々はコナーズの誠実さに対して深謝すべきだろう。

最期に本書ADHD NATION-Children, Doctors, Big Pharma, and the Making of an American Epidemic-の著者であるシュワルツについて簡単に紹介しておく。アラン・シュワルツは、公衆衛生問題に関してニューヨーク・タイムズ紙に掲載したさまざまな記事で知られるアメリカのジャーナリストである。これまで報道関係で9つの賞を受賞しており、アメリカン・フットボール選手にみられる脳震盪の深刻さを明らかにした一連の記事で、ピューリッツァー賞にノミネートされた。その取材力は質量ともに圧倒的であり、最晩年のキース・コナーズが全面協力したことも相俟(あいま)って、本書を類(たぐ)い稀(まれ)なものとしている。

本書翻訳に至るまでの経緯についても一言しておきたい。訳者(黒田)が本書の存在を知ったのは、上記のコナーズ追悼文を読んだ2017年のことである。原著を一読してその面白さに魅了されたものの、もともと一般読者向けの書物であったこともあり、他の誰かが翻訳してくれると期待していた。だが2019年まで待っても一向に邦訳される気配がない。未邦訳のままにしておいて良いような書物ではないため、改めて翻訳に手を挙げることになった次第である。

もっとも原書の出版は2016年だから、あまり訳出に手間取っているわけにもいかない。そこで今回は市毛裕子氏に共訳者として参加してもらうことにした。具体的には本書の前書き、プロローグと1~4章を黒田が、5~18章を市毛がまず翻訳した。次いで互いの原稿に目を通し、検討を重ねることにより、訳語と文体の統一を図った。本書が多少でも読みやすくなっているとすれば、それは市毛氏の溌剌(はつらつ)とした文体によるところが大きい。

誠信書房の小寺美都子氏には、いつもながらお世話になった。文意や文体に少しでも曖昧なところがあれば、それが小寺氏の目から逃れることは決してなかったのである。そのおかげで、こちらの思わぬ理解不足が明らかになったことも一度や二度ではない。本当にありがとう。

2021年12月 黒田章史