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BPDとスティグマ(汚名)ーその3ー

前回述べたように、臨床家たちは消極的に、あるいは積極的に境界性パーソナリティ障害(BPD)の治療を拒否する傾向がある。

BPDの治療は難しいし、そもそも患者は、本当は自分の行動に責任が取れるはずだーすなわち治療などするに及ばないーというのがその主な理由だ。

ある臨床家は「他の治療者がBPDという診断を見ると、<どうにもなりゃしないだろ?>と言うんです。BPDには汚名が着せられていると私が思うのはそのせいです」とズルツァーに語った。

実際にズルツァーが調査対象とした医療提供者の大多数は、BPD患者を治療対象から公然と除外していた。

注目すべきことは、現在では「弁証法的行動療法(DBT)」や、「メンタライゼーションに基づく治療(MBT)」など、さまざまな治療法がBPDに対してー少なくとも症状の重篤度を改善する上ではー有効であるというエビデンスが得られているにも関わらず、臨床家たちの考え方はさほど変化していないことである。

BPD患者が改善しないと治療者達が考えていた理由は、エビデンスに基づく治療が利用出来ないということでも、治療を実施できる臨床家が不足しているということでもなかった。

むしろほとんどの治療者は、DBTやMBTといった、エビデンスに基づくBPD治療について良く知っていた。

つまり治療者たちは、仮にエビデンスに基づいた治療をBPD患者が利用出来たとしても、彼らが実際に改善することはないだろうと考えていたのである。

BPD症状の重篤度を改善する上で、DBTやMBTといった治療がある程度の効果を示すのは事実だから、臨床家が抱いているこのような印象は正しいとは言えないだろう。

これは厄介な事態には違いない。

だが本当に厄介なのは、臨床家たちが抱いているこのような印象が、完全に間違っているとも言い切れないことである。

DBTやMBTといった、エビデンスに基づく治療は確かに「効果」を示す。

だが実証されている「効果」の内実を知った上で、それに満足出来る人は、恐らく余り多くはないのではないか。

たとえばエビデンスに基づく医療の最高水準を示すものとして名高いコクランレビューが、BPDの精神療法に関してまとめた結論は以下のようなものである(Ole Jakob Storebø, Jutta M Stoffers-Winterling, Birgit A Völlm, Mickey T Kongerslevほか. Psychological therapies for people with borderline personality disorder. Cochrane Database Syst Rev.5(5):CD012955. 2020 May 4)。

まず、DBT、MBTをはじめとした、異なった原理に基づく16種類のエビデンスに基づく精神療法の示す効果は、BPDの重篤度と心理社会的機能という主要な転帰に関して、どれも同じ程度であるー効果に差はないーことが明らかになった。

次に、通常の治療(TAU)と比較した場合、これら数々の「エビデンスに基づく精神療法」は、全ての主要な転帰に関して、より優れた効果を示した。

しかしながらその改善が臨床的に意味のあるものであるかどうかを判断するために定められた、「臨床的に意義を持つ最小差(Minimum relevant difference : MIREDIF)」により定義されたカットオフ値に達していたのは、BPDの症状の重篤度だけだった。

そしてその改善効果は、残念ながら決して大きなものではなかった。

ちなみに、ここで言うところの「症状の重篤度の改善」とは、BPDの9つの診断基準項目(DSM)に該当する症状の程度がー特定の症状に関してではなくー全体として少しずつ和らぐというイメージである。

したがってBPDに対するエビデンスに基づく精神療法は、自傷行為それ自体に対して、あるいは自殺企図や自殺に関連した行動それ自体に対して、臨床的に有意味な改善をもたらすことはない。

また、中長期的には最も大きな問題といえる心理社会的機能に関して、そして多くのBPD患者が経験する抑うつ症状に関しても、臨床的に有意味な改善をもたらすことはないのである。

もちろん臨床家たちの多くは、コクランレビューが、BPDの精神療法に関してまとめた結論を熟知しているわけでは全くない。

だが、数多く存在する、エビデンスに基づくBPD治療の効果がどの程度のものであるかは「何となく」肌で感じ取ってはいるのである。

したがってBPDに関するスティグマ(汚名)をそそぐためには、単に臨床家たちの認識不足を責めるだけでは何の解決にもならない。

おそらく唯一の解決策は、治療を通して彼らを目に見えるような形で実際に改善してみせることだろう。

DBTやMBTといった、「エビデンスに基づく治療」にそれをするのが不可能であるなら、別のやり方を工夫するしかない。

だからこそ私は独自に治療方法を考案するしかなかった(黒田章史:治療者と家族のための境界性パーソナリティ障害治療ガイド、岩崎学術出版、2014)。

私の著作の最も大きなテーマの一つは、きちんと治療をやり通した場合、BPDという疾患は、久しぶりに会った親族などから「別人のように良くなった」と言われる可能性をもともと持っているような疾患だということである。

(著作の中の症例のモデルになった元患者たちは、実際にさまざまな人達からそのような言葉をかけられている)。

だからこれは、本質的な意味でBPD患者のスティグマ(汚名)をそそぐ道を示した書物だと言っても良いのである。