BPDとスティグマ(汚名)ーその2ー
ある精神科医は、ズルツァーにこう言った(Sandra H. Sulzer:Does “difficult patient” status contribute to functional demedicalization? The case of borderline personality disorder.Soc Sci Med. 2015 October ; 142: 82–89.)。
「専門家の世界では、ボーダーラインっていうのは厄介者(pain in the ass)って言うのと同じ意味だ」。
別の精神科医は「彼らはひどく骨の折れる患者だ・・・いつだってお構いなしに電話してくる」と語った。
治療が効果を示さない可能性があることに触れた臨床家も多かった。
「誰かと一緒に壁に頭を打ち付けてみたって、大して報われることもないでしょう」とある心理士は述べた。
別の心理士は「彼らと関わり合うと、厄介事になるのはわかっています・・・必ず神経を逆なでされるようなことになるんです」と、治療の困難さを強調した。
「統合失調症の患者だって治療者に椅子を投げつけてくるかもしれないが、それは統合失調症という病気のせいであって、患者の責任ではないから同情できる。でも境界性パーソナリティ障害(BPD)の患者の場合は、自制ができるはずなんだから同情できない」と語った専門家もいた。
あるケースワーカーは、こうした専門家たちの見解を「まあたぶん彼らは最も人気のない患者っていうところでしょう。大抵の人は彼らを治療するのを好みません。手がかかり過ぎるんですよ」と纏めた。
ズルツァーによるインタビュー内容は、通常はあまり表に出ることのない、多くの専門家たちの「本音」があけすけに語られてしまっているという意味でー良くも悪くもー極めて興味深いものである。
私自身もこれに似たような発言は、他の専門家から何度も聞いた覚えがある。
それだけではない。
入院中の患者から罵詈雑言をインターネット上に書き込まれた医師が、もう外来では診たくないからという理由で、当院を「紹介」してきたケースさえある。
(家族によると、他に行く所もないということだったので、そうしたリスクを重々承知の上で、私はその患者の治療を引き受けた・・・)。
それに、きちんとした治療を試みたからといって、それが報われるとは限らない。
私はBPDの世界的権威であった、故J.G.ガンダーソンの元患者と思しき人物が、ガンダーソンのことを「こいつは人格低劣な最低最悪の野郎だ」「この男は私の問題をネチネチとしつこく追求し、私が泣くまで許してくれなかった」等とネット上に書き込んでいるのを読んだことがある。
これを読んだ時、私はむしろー失礼ながら!!ーガンダーソンも意外にちゃんと真面目に治療しているんだなあ、という感想を抱いたものだ。
どういうことか。
たとえば治療者が患者の問題を指摘し、本人がそれを受け入れたとする。
いちおう治療者の指摘を受け入れたのだから、それらの問題は時間と共に修正されていくだろうと思いたいのは人情である。
だが残念ながらBPDの治療では、こうした予想は概ね外れることになる。
それは必ずしもBPD患者が改善の努力をしないからではない。
どのように言動を変えれば「問題が修正された」ことになるかが、患者自身には見当もつかないことが多いためである。
この難題を本気で克服したければ、患者の問題が<実際に>修正されるまで、治療者が何度でも繰り返して指摘していく以外に方法はない。
もちろん大半の治療者は、そんな厄介で面倒な仕事などしたがらない。
ガンダーソンが「真面目に」治療をやっていると私が感嘆したのはそのためである。
だがもちろん件の患者はそうは思わなかったのだろう。
まあそういうわけで、ズルツァーによれば、専門家たちのBPD患者に対する典型的な応対の一つは、消極的な、あるいは積極的な「治療の拒否」であるということになる。
専門家たちのこのような応対は、確かに問題には違いなかろう。
だがこうした患者を成功裏に治療した経験に乏しければ、そして善意で取り組んだつもりのBPD患者との関係が、次第に厄介なものへと変質し、結局のところ失敗に終わったという苦い経験だけが強く印象づけられるなら、専門家たちがこうした患者の治療を拒否したくなるのも無理はないのかも知れない。
次回では、このようなBPD患者に対する専門家の「治療の拒否」が、どのような形で起こるかについて、さらにズルツァーの説明に耳を傾けることにしよう。