BPD治療の落とし穴
境界性パーソナリティ障害(BPD)の患者を、週にどれほどの頻度で診察するのが適切なのかは、昔からしばしば問題にされてきたテーマである。
精神分析の影響が強かった時代には、週に2回、あるいは3回といった頻度で面接を行った方が良い結果が得られるとされていたこともある。
こうした患者は「対象恒常性(object constancy):外的対象の在・不在を越えて、対象に対する信頼や愛情を一貫して抱くことが出来る対象関係のあり方」を維持するのが難しいから、高頻度で面接を行う必要があるとされたのである。
だがこれはあくまでも精神分析理論に基づく要請であって、実際にはどのような患者に対しても、週にどれくらいの頻度でセッションを行うことが望ましいかに関する実証的研究がなされたことはない。
上記のような理論的要請を抜きにしても、BPDに対する治療セッションの頻度が増えてしまうことは、さほど珍しくない。
それは主として以下のような2つの理由による。
まず、次のセッションがあるまで1週間も待てないと主張して、高頻度の面接を望む患者がいること。
もう一つは、面接の頻度を増やすことにより、患者が自殺を試みたり、実際に自殺してしまったりするのを防ぐことが出来ると考える治療者がいることである。
(実際にはそのような考えを裏付けるようなエビデンスなど全く存在していないのだが)。
ジョエル・パリスが挙げているウェンディという患者が辿った治療経過は、このような成り行きの典型である(Joel Paris ; Treatment of Borderline Personality DisorderーA Guide to evidence-based practiceー. The Guilford Press,2008.:境界性パーソナリティ障害の治療ーエビデンスに基づく治療方針ー、黒田章史訳、金剛出版、2014[なお2020年に出版された本書の第2版では、この症例の名前(当然ながら仮称である)がーなぜかーフランシスに変更してあるが、記述内容は全く変わらないため、第1版のウェンディのままにしておく])。
ウェンディは多くの人が明るく魅力的であると考えていた、23才の博士課程の学生だった。
数年前から彼女が自殺しようと真剣に考えていたことを知っていたのは、親しい友人だけだった。
実を言うと自殺傾向は彼女が受け継いだ伝統の一部だった。
ウェンディの母親もおそらくBPDに罹患していたと思われるが、すこぶる人を巻き込むような関係を娘との間に築いていた。
ある時母親はその当時9才だったウェンディに銃を見せ、それで一緒に死のうと持ちかけたことがあった。
学校でうまくやることで、ウェンディは自分の母親から離れることが出来た。
そして彼女はある男性と真面目な交際を始めた後、すぐに家を出た。
しかしながらその男友達に振られてしまった時、ウェンディは治療を受けようと試みた。
治療は定期的に週1回という頻度で始まった。
しかしウェンディの自殺傾向についてセラピストが憂慮したのを踏まえて、その頻度はすぐに週に2回へ、それから週に3回へと増えた。
治療期間中に彼女が過量服薬をしたのはたったの一度だけだったが、ウェンディは自殺をするといつも脅していた。
セッションの頻度を増やしても、自殺傾向が減ることはなかった。
しかしそうすることでウェンディは、彼女の命がセラピストに左右されており、彼女が死ぬのを止めるためなら、セラピストはほとんど何でもするだろうと考えるようになった。
次第にウェンディの心の中で、この愛着は性的なものとなっていった。
彼女は自分たちが治療以外で関係を持つ可能性をほのめかし始めた。
これらの厄介な問題は、治療を進めていく上で大きな妨げとなったし、その解決には時間がかかった。
この症例に限らず、面接の頻度を上げるのが、BPDの治療にとってプラスに作用するとは限らない。
とりわけ個人面接のみをおこなっている場合、面接頻度を上げることで患者が治療者に対して過度に依存的になる可能性は高いだろう。
もともとBPD患者は、親密な相手に対して過剰に依存的になることは良く知られているのだから。
そのような現象(症状)を治療関係の中で再現したところで、治療にとってどれほど益するところがあるかは疑わしい。
多くの場合、そのような治療関係は、BPD患者にとって現実世界における対人関係の、理想化された代用品に過ぎないだろう。
(残念ながら、通常の治療でおこなわれている、いわゆる「カウンセリング」が、そのようなものとなる可能性は極めて高い)。
ガンダーソンは、それを「患者の現実生活が空虚なものとなっている兆し」であるとし、警戒するよう注意を促している(Gunderson,J.G.Handbook of Good Psychiatric Management for Borderline Personality Disorder. Amer Psychiatric Pub Inc.2014;境界性パーソナリティ障害治療ハンドブック、「有害な治療」に陥らないための技術、黒田章史訳、岩崎学術出版、2018)。
むしろBPDの患者にとって最も重要なのは、治療者との間に親密な関係を作り上げることでも、治療や治療者中心の生活を送ることでもなく、現実の生活において「きちんと生きる(get a life)」ことである。
BPD患者を、現実生活にいわば「接地(grounding)」させるための媒介として、家族面接が不可欠なのはそのためである。