BPDが「寛解しているけれど、回復していない」とはどういう状態かーその3ー
ミズC(その後の経過)
フォローアップ研究(MSAD)開始から10年以上が過ぎていた。
今では40台も間近となったミズCにみられる症状は、経験を回避する傾向や過度の依存傾向に関連したものだけになっていた。
彼女は慢性的不安に苛まれており、それは彼女が住んでいる支援住居から一歩足を踏み出すと、とりわけひどくなるのだった。
ミズCは自分を不安にさせるような状況を全て回避するようになった。
一見したところ能力がありそうに見えるにも関わらず、今や彼女は精神科や医療機関を予約した場合を除いて、基本的には家に引きこもっていた。
しかしながらミズCは、自分で出来る趣味をいくつか持つことによって自分の引きこもり状況に適応していったのである。
彼女は熱心に読書をし、絵画を楽しんだ。
また大好きなペットを飼ったが、それはミズCが必要としている親密さを、多少なりとも満たしてくれるものであるように思われた。
彼女は週に1回セラピストの面接を受け続けていたし、元々かかっていた精神科医の診察も依然として受けていた。
その精神科医は長年にわたり、彼女に対して非常に過激な多剤併用療法をおこなってきた人物だった。
ミズCはこの医師の処方が役に立っているかどうか確信が持てなかったが、この医師との関係を続けたいと望んでいた。
なぜなら彼女にとってその医師との関係が支えになると感じたためである。
長い年月を経る間に、ミズCは32㎏も体重が増えてしまい、今では病的肥満状態だった。
このフォローアップ研究(MSAD)に参加した時(ミズC28歳の時点)の体重は正常だったのだが、もうそのことを覚えている者は殆どいなかった。
そして彼女は線維筋痛症、胃食道逆流症、高血圧、高コレステロール血症、そしてⅡ型糖尿病に罹っていた。
彼女はこれらの疾患に対する治療を受けており、おおむね治療上の忠告に対して忠実に従っていたが、体重を減らし、もっと身体を動かすようにという忠告には従わなかった。
彼女は線維筋痛症の痛みを抑えようとして、オピオイド系鎮痛薬(医療用麻薬)まで服用していた.
薬の量を勝手に増やしたことはないと医師に報告してはいたのだが。
ミズCは12年後のフォローアップ時点(ミズCが40歳の時点)において寛解した。
また彼女はBPDを再発したこともなかった。
しかし彼女が回復していないことは誰の目にも明らかだった。
40歳になったミズCは、友人もおらず、働くことも出来ない人物になっていたからである。
[コメント]
さて、なぜミズCは寛解するまでにこれほど時間がかかり、回復することが出来なかったのだろう?
幼少期に親戚の男性から受けた性的虐待のせいだろうか?。
それとも入退院を繰り返したことで、彼女の生活の基盤が不安定なものとなってしまったせいだろうか?。
その可能性だってあるかも知れない。
だが最も可能性が高いのは、前回も述べたように「治療の優先順位を間違えた」ことであるように思われる。
境界性パーソナリティ障害(BPD)と、(成人期になって発症するようなタイプの)PTSDが併存している場合、BPDの治療を優先させるべきであることが、現在では明らかになっているためである。
もともとBPDの治療とPTSDの治療はどうにも相性が悪い面がある。
BPDの治療ー少なくとも真っ当な治療ーでは、患者が「きちんと生きる(get a life)」ことに立ち向かうよう、かなり強力に促していくことになる。
その領域は規則正しい生活を送るようにということから始まって、寝てばかりいないように、家事能力を含めた自立能力を高めるように、学業あるいは仕事に勤勉に取り組むように、といったことにまで及ぶ。
患者が幼少時にどれほど辛い経験をしたからといって、それは患者が自分を変えるための努力をしなくて良いということにはならないのである。
一方でPTSDの治療は、基本的に外傷体験の被害者を、どのように支援していくかということがテーマになるだろう。
被害者なのだから、当然労(いたわ)らねばならないというのが基本になる。
治療のために、ある程度のことを指導したり要求したりすることはあるにしても、あまり多くのことを患者の側に要求するのは酷であると見なされることが多いだろう。
治療の基本的姿勢に関するこのような違いは、BPD患者が回復していけるかどうかに関して、場合によっては重大な影響を及ぼすことになる。
ミズCの社会的機能が本格的に低下し始めたのが、集中度の高い精神療法ーとりわけトラウマに焦点を当てるような精神療法ーを受け始めた後であるのは、恐らく偶然ではない。
治療は、現実世界において取り組むべき課題ー仕事をすること、友人を作ること等々ーから、彼女を遠ざけてしまった可能性があるのだ。