BPDが「寛解しているけれど、回復していない」とはどういう状態かーその2ー
ミズC(MSAD参加後の経過)
マクリーン病院成人発達研究(MSAD)に参加するきっかけとなった入院中に、ミズCは潜在期(4~5才頃から思春期の頃までの期間)の後期に、親戚の男性によって 性的虐待を受けたことを初めて報告した。
彼女はこれまでこの虐待のことを片時も忘れたことはなかったが、自分の家族を傷つけるのを恐れて、それまで話せずにいたのである。
病院の治療チームは、その報告を受けて、従来のセラピストとの治療をやめ、心的外傷治療の専門家の診察を受けるようミズCに勧めた。
心的外傷治療の専門家は、ほぼ彼女の心的外傷歴にのみ焦点を当てるような治療をおこなった。
だがミズCがトラウマの治療に熱心に取り組めば取り組むほど、彼女の気分と社会的機能は悪化していった。
自傷行為、自殺の脅しや自殺企図、そしてひたすら悪化していく抑うつエピソードのために、ミズCは入退院を繰り返した。
このトラウマ治療は約4年も続いた。
そして4年が過ぎる頃までには、ミズCが最初に示していた社会的能力は「忘れ去られてしまい」、彼女はこれまで良い社会的機能を示したことなど一度としてなく、そしてこれからだって良い社会的機能を果たすことなど決してないような、慢性患者と見なされるようになっていた。
症状があまりにひどく、社会的機能も極めて乏しかったために、彼女は障害者向けの社会保障給付金で食いつなぐことになった。
ミズCには、もはや友人はいなかった。
デートすることもなくなり、業務中に不安に襲われるため、仕事にも就けなくなっていた。
そのため彼女は支援住居(障害者などに対して住居を提供した上で、自立を支援するためのサービスをおこなうもの)へ入居することになった。
ミズCが極めて知的な人物であったこと、もともとは自立出来ていたことを考えると、この結果は満足すべきものから程遠かった。
ようやくコンサルテーションがおこなわれ、ミズCの治療方針は変更されることになった。
過去の虐待歴を取り上げるのではなく、現在の日常生活をきちんと送る能力に関する問題に対して重点的に取り組むようなタイプの、支持的精神療法を受けることになったのである。
新しいセラピストはベストを尽くしたが、ミズCは家に引きこもるようになってしまい、もはや友人を作ったり、デートをしたりすることもなくなっていた。
職に就くことは完全に諦めてしまい、支援住居の外ではほとんど何もしなくなった。
しかしながらこのような支持的な治療アプローチを試みることにより、ミズCが示していたBPDの症状の多くは減少した。
またMSAD開始後10年目にフォローアップ調査をおこなって以降は、入院することもなくなった。
つまり間違いなくミズCは寛解していったのである。
[コメント]
入院後、ミズCは小児期に性的虐待を受けていたことを報告し、治療方針は一変することになった。
一般的に言うなら、境界性パーソナリティ障害(BPD)と外傷後ストレス障害(PTSD)が併存しているのは、少しも珍しいことではない。
BPD患者の30%にPTSDが、逆にPTSD患者の8%にBPDが、それぞれ併存していることが知られているほどである(J.G.ガンダーソン著、境界性パーソナリティ障害治療ハンドブック-「有害な治療」に陥らないための技術-、黒田章史訳、2018,岩崎学術出版)。
だがBPDに併存しているPTSDが早期発症型(複雑性PTSD)であるか、成人発症型であるかによって、どのような治療的対応を取るかが大きく変わることはあまり知られていない。
(複雑性PTSDとは、児童虐待の場合などのように、逃れることの難しい状況において、長期にわたって繰り返し対人関係上の心的外傷を受けた場合に、早期に発症する可能性がある精神疾患である)。
BPDと複雑性PTSDが併存している場合、原発性疾患はBPDではないから、複雑性PTSDの治療が優先されるべきであるとされる(D.C.Price, Generalist Adult Outpatient Psychiatry Practice. In L.W.Choi-Kain & J.G.Gunderson(eds) :Application of Good Psychiatric Management for Borderline Personality Disorder. A Practical Guide, pp85-115, Washington D.C. American Psychiatric Association Publishing, 2019)。
またそもそも複雑性PTSDの患者は、治療者を含む誰のことも信頼しないために、治療同盟を作り上げるのが困難であり、したがってBPDの治療を適用することも難しい。
それに対してBPDに成人発症型のPTSDが併存している場合、原発性疾患はBPDであるから、BPDの治療が優先されるべきであるとされる。
さてミズCのケースをどのように判断したものだろうか。
ザナリーニの症例記載によれば、ミズCは「大学を卒業するまで社会的機能は良好だった」とあり、さまざまな症状や問題が出現したのも大学を卒業した後のことである。
また前セラピストと集中度の高い精神療法を、長期にわたりおこなうことが可能であった。
当然ながらこれはミズCが治療者と治療同盟を作り上げ、維持することが長期にわたり可能であったことを意味している。
たとえ彼女にPTSDの症状が存在していたとしても、早期発症型であった可能性は低い。
すなわちミズCのような場合には、まずBPDの治療をおこなうことが望ましかったのである。
(この心的外傷治療の専門家の名誉のために付け加えておくなら、BPDとPTSDが併存している可能性がある場合に、どのような対応をすべきかが実証的に明らかにされたのはこの数年のことであり、その当時は何の基準もなかったのである)。
本来の知的能力と、もともと獲得していた社会的機能水準から考えて、ミズCの病状が異様なほど悪化していったのは、治療の優先順位が不適切であった結果であったと考えられる。