BPDが「寛解しているけれど、回復していない」とはどういう状態かーその1ー
前回述べたように、境界性パーソナリティ障害(BPD)では、「寛解しているけれど、回復していない」という状態がしばしば生じる(場合によってはその状態のまま固定してしまうことすらある)。
と言ってもそれがどのような状態か見当のつかない人も多いことだろう。
内科疾患や外科疾患だけでなく、他の多くの精神疾患の場合も、治療の目標とするのは寛解あるいは症状の緩和であって、それとは別に「回復」を取り上げて問題にすることはまずない。
BPDの治療をおこなう場合に「回復」を問題とせざるを得ないのは、この疾患が寛解したとしても、必ずしも心理社会的な改善が見込めるとは限らないためである。
それがどのような状態を指すかについて、これから何回かにわたり、ザナリーニが挙げている症例に基づいて説明してみようと思う(Zanarini.M.C. : IN THE FULNESS OF TIMEーRecovery from Borderline Personality Disorderー. New York , Oxford University Press, 2019)。
こうした症例を知っておくことで、症状がほぼ消失している場合であっても、こうした患者がどれほど深刻な状態に陥る可能性があるかについてーすなわち「これはボーダーライン反応だから大丈夫」などと気楽に言ってはいられないことについてー多少は見当がつくのではないだろうか。
ミズC(MSADに参加するまで)
堅実な労働者階級家庭で生まれ育ったミズCは、マクリーン病院成人発達研究(MSAD)に参加した時点で28歳の白人独身女性だった。
大学を卒業するまで社会的機能は良好だったが、卒業後に自傷行為を繰り返したり、何度となく自殺を試みたりといったことに始まる、さまざまな症状が現れるようになった。
両親とは親密な関係を築いていたが、他方で彼らに対して極めて要求がましくもあった。
またとても強い不安を抱いており、孤独感や空虚感に悩まされていた。
大学時代の彼女は少々見境(みさかい)なくセックスをする傾向があり、週末になるとアルコールを乱用していた。
また見捨てられることに対する不安に囚われており、治療を受けると退行を起こすというパターンを繰り返していた。
MSADに参加するきっかけとなった精神科入院に先だって、ミズCは極めて集中度の高い(高頻度でおこなわれる濃厚な)精神療法を長期にわたり受けていた。
すぐさま彼女は、セラピストとの間に依存的な関係を作り上げた。
この治療は6年にわたり続いたが、その経過を通して彼女の仕事に関する機能は次第に低下していった。
もっともその頃の彼女は定期的にパートタイムで働いており、自活も出来ていただけまだましだった。
だがこの状況は入院後に明らかになった外傷的体験と、とりわけそれに対しておこなわれた「治療」によって一変することになる。
[コメント]
ここまでに記載されているのは、ミズCがMSADに参加するに至るまでの、ほんの初期段階における経過である。
ここまでの経過を見て、ミズCの予後について悲観的な見通しを立てなければならないと考える人はそう多くはないのではないか。
確かに多彩な症状に悩まされてはいるものの、一応ミズCは働いており、自活も出来ているからである。
だがほんの僅かではあるが、気がかりな兆候も認められないわけではない。
それはミズCが集中度の高い個人精神療法を受けていたにも関わらず、仕事に関する機能が次第に低下していったという事実である。
精神状態を改善させ、社会生活をきちんと営めるように精神療法を受けていたはずなのだから、このような事態が生じるのはおかしいと考える人も多いに違いない。
だがとりわけBPDの場合、このような事例は少しも珍しくない(場合によっては「精神療法を受けたからこそ」社会的機能が低下したとしか思えないケースさえ散見される)。
なぜか。
もともと精神療法は、患者の社会的機能を上げること自体を目的としておこなわれるものではないからである。
誤解のないように言い添えるなら、こうした治療では患者の精神状態が改善されれば、それに伴って自然に患者の社会的機能も改善されると期待しているのである。
そしてそれは必ずしも根拠のないことではない。
おそらく精神症状が改善されるのに伴って、社会的機能が改善される精神疾患のほうが多いだろう。
だが、残念ながらBPDに関しては必ずしもそれが当てはまらない。
例えばBPD患者の半数が寛解するまでの期間は2年から3年半だが、患者の半数が「良い回復」を示すまでには12年もかかり、さらにその割合は14年後には頭打ちになる(そして以前に述べたように、「良い回復」という状態は「安定的に不安定」である)。
さらに重要な「極めて良い回復」に関しては、そもそも達成できる患者の割合が20年で4割にも満たない。
つまりBPDをきちんと回復させるためには、従来とは異なるアプローチが必要とされているのである。