診断にまつわる問題 その2
境界性パーソナリティ障害(BPD)を含む何らかのパーソナリティ障害が他の精神疾患と併存している場合、その精神疾患の治療はより厄介なものとなり、その経過はより慢性的なものとなることが多い(たとえばうつ病についてはSkodol, A. E. ほか. Relationship of personality disorders to the course of major depressive disorder in a nationally representative sample. Am. J. Psychiatry 168, 257-264 (2011)を、アルコールやドラッグの使用に与える影響ついてはHasin, D. Personality disorders and the 5-year course of alcohol, drug, and nicotine use disorders. Arch. Gen. Psychiatry 68, 1158 (2011)を参照)。
逆に前回に述べたごとく、BPDに対する治療が適切におこなわれるなら、併存疾患は改善される可能性がある。
したがってBPDが存在するかどうかを充分に注意すると同時に、しばしば併存疾患よりも優先して治療をおこなう必要がある。
ここで問題を複雑にしているのが、BPD患者の約半数はわずか2年の内に寛解し(診断基準を満たさなくなり)、再発率も低いことである。
もちろんこうした患者が「何の問題もなくなってしまう」わけではない。
Paris.Jの卓抜な言い回しを援用するなら、患者の多くは(適切な治療を受けない限り)BPDを「卒業(graduated)」して特定不能のパーソナリティ障害(Unspecified Personality Disorder )へと移行していくのである(Paris.J:Treatment of Borderline Personality Disorder A Guide to Evidence-Based Practice,Guilford Press , 2008、p.107 ;「境界性パーソナリティ障害の治療ーエビデンスに基づく治療指針ー」黒田章史訳、金剛出版、2014, p.144)。
そして特定不能のパーソナリティ障害の一般的特徴とは、BPDなどの特定のパーソナリティ障害ほど重篤な症状を呈することはないものの、治療を必要とする程度に著しい心理社会的機能不全が認められることである(Wilberg.Tほか. A study of patients with personality disorder not otherwise specified. Comprehensive Psychiatry , 49, 460-468, 2008)。
たとえば中学入学後に不登校になったのを皮切りに、手首を切る、頭を壁に打ち付けるなどの自傷行為、首吊りなどの自殺未遂、飛び降りをするという自殺の脅し、摂食障害(拒食ー過食)、異性に対する依存的な乱交傾向、ストレス時にみられる一過性の幻聴や被害念慮、家族に対する暴言や暴力といった症状を呈するに至った患者がいたとしよう。
これは軽症とは言い難いBPD患者であるが、問題はこうした患者であっても、時間とともに「特定不能のパーソナリティ障害」へと移行していく場合が少なくないことである。
こうした場合、パーソナリティ障害に基づくさまざまな社会的機能に不全がみられ、それを対象とした治療が必要だったとしても、その時点での本人の主訴が抑うつであったとすれば「うつ病」、不安関連症状であったとすれば「不安障害」とだけ診断とされてしまうことは充分に考えられるー以前あるいは現在の病歴に関する情報収集が充分になされない場合には特にそうである。
(ちなみにBPDに罹患している患者が示す、うつ病の生涯有病率[一生に一度はうつ病にかかる人の割合]は61%から83%であり[McGlashan, T. H. 他 The Collaborative Longitudinal Personality Disorders Study: baseline Axis l/ll and 11/11 diagnostic co-occurrence. Acta Psychiatr Scand. 102,256-264 2000, Zimmerman, M. (St Mattia, J. I. Axis I diagnostic comorbidity and borderline personality disorder.Compr Psychiatry 40, 245-252 1999]、不安障害の生涯有病率は88%にのぼる[ Zanarini, M. C.他 Axis I comorbidity of borderline personality disorder. Am. J. Psychiatry 155,1733—1739 1998]から、むしろこのようなことが生じる可能性は意外なくらい高い)。
なぜなら「特定不能のパーソナリティ障害」は、有病率が比較的高い割には、決してポピュラーな診断名とはいえないからである。
もちろん「うつ病」「不安障害」などの診断を下すこと自体が間違っているわけではない。
優先すべき診断を見落としている<だけ>である。
ただしこのような診断の見落としは、効果に乏しい薬物治療が延々と続いてしまうという深刻な結果を招きやすい。
そして通常の個人面接をおこなう場合、とりわけパーソナリティ障害に関してはこのような見落としが生じてしまうことが少なくない。
それを補うために、パーソナリティ障害を対象としたさまざまな構造化面接(面接者ごとの面接内容や対応のブレを防ぐため、聞くべき質問をあらかじめ設定し、その質問に従って進める面接法)や半構造化面接、あるいは自己記入式の質問用紙が開発されてきた。
ただし「うつ」や「不安」を訴えて来院した患者の全てに、そうした面接をおこなう施設は、もしあったとしても稀(まれ)だろう。
治療初期から、家族を含む患者の近親者からの情報提供が極めて重要である理由はそこにある。