始めるにあたって
このたびホームページをほとんど20年ぶりにリニューアルすることになった。
新しく作ってもらったホームページには、さすが今時だけあって当たり前のように「お知らせ」とか「ブログ」という項目が最初からついていて、何か書いて埋めておかないと落ち着かないような雰囲気である。
とはいえ私自身の身辺雑記について述べたところで面白くもおかしくもないだろうし、人様にわざわざ書いてお伝えするほどの「こだわりの趣味」があるわけでもない。
そこでといっては何だが、ちょうど境界性パーソナリティ障害(BPD)をテーマとして新しい本を書くことが決まった所でもあるので、とりあえずそれに関連したり、役立ったりする可能性があるテーマについて、思いつくままに書いていこうと思う。
この疾患をめぐっては、私の前著「治療者と家族のための境界性パーソナリティ障害治療ガイド」が刊行された後にも、さまざまな新しい知見が付け加えられている。
それらの多くはわくわくするようなものであり、またこの疾患の治療に対して大きな示唆を与えるようなものである。
まずはそのあたりについても触れつつ、私自身の考えについて少しずつ述べていくことにしたい。
それはこの疾患の病理をどう捉えるかということから、患者自身はどのような所を自分の弱点として把握し、どのように養生すべきなのか、家族はどのような対応をすべきなのかということにまで至る、かなり幅広いものになるはずである。
またとりわけ治療に関しては、従来この疾患について望ましいとされてきたものとは、かなり異なる説明の仕方をすることになると思う。
それは私自身の好みというよりは、この疾患の治療に関して現在求められていることーどのようなことを問題とし、改善していかなければならないかーが、これまでとは大きく異なってきているためである。
たとえばリネハン(Linehan.M)が開発した弁証法的行動療法をはじめとする認知行動療法は、BPDの症状の寛解を早めることができるのは良く知られている。
だが他方でこうした治療をおこなった患者の大半が、満足な社会生活を送れるようにならないことはあまり知られていない。
診断基準に挙げられているような症状が寛解し、もはやBPDとは見なされない状態まで改善したのだから、当然患者の社会的予後も改善すると思いたいのは人情だが、実際にはそうならないことが多いのである。
いったい何が問題なのだろう、という疑問が生じるのは当然のことだ。
私の前著はその疑問に多少なりとも答え、この疾患に対する従来とは異なる治療アプローチを提唱することを目的として書かれたものであった。
その内容について基本的に修正すべき点があるとは今でも考えていないが、それと最近の知見を照らし合わせて、言わばアップデートする必要はあるだろうとは思っていた。
また前著は「専門家と家族のための」と銘打っていたが、これから書き進める内容は、患者さんー少なくとも自分の問題がどこにあるのかをきちんと知りたいと願っている患者さんー自身にとっても役立つ内容が含まれていると思う(少なくとも私自身はそうであって欲しいと願っている)。
内容的にはなるべくわかりやすくするよう心がけるつもりだが、場合によっては専門的な内容に踏み込む場合もあるかも知れないし、いちいち根拠を文献で明示することが多いのにも辟易(へきえき)する方がいるかも知れないが、ご容赦願いたい。
(もともと著作を書く場合の参考にしようと思って書くメモなので、後で「あの文献は何だったけ?」ということになるのを避けるためにやむを得ないのである)。
では始めるとしよう。