ブログ

ADHD大国アメリカ つくられた流行病

今回は「ADHD大国アメリカ つくられた流行病」について紹介することにしたい。

私と市毛裕子氏の共訳で、2月19日に誠信書房から出版された。

原書の出版は2016年だが、さまざまな意味で「今日」読まれるべき書物であることは間違いない。

近年、精神科領域において「自閉スペクトラム症」「ADHD(注意欠如多動症)」といった発達障害、さらに「双極性障害」や「うつ病」などが盛んにーそう、しばしば不可思議なほどにー診断されるようになったのは何故か。

自分が精神疾患であると「カミングアウト」する有名人が、最近になって相次いでいるのは何故か。

精神疾患の診断や、治療ガイドライン作成、学会誌の運営などに対して大手製薬会社はどのような形で、近年どれほどの影響力を発揮しているのか。

そうしたことに関して少しでも関心を抱く人は、是非とも本書に目を通すべきである。

「ADHDの父」とも称されるキース・コナーズの全面協力のもと、ニューヨーク・タイムズの記者であるアラン・シュワルツが、アメリカにおいてーもう既に「日本においても」なのかも知れないがーそのようになってしまうに至った数十年にわたる経緯を、歴史的に詳しく説明してくれているのがわかるだろう。

それは必ずしも読んで心地良いものではないかもしれない。

だが本書で論じられているようなことについて知らないままでいることは、もはや許されなくなって来つつあるのだ。

もちろん著者も言う通り、これは製薬会社を悪者にすれば済むというような単純な問題ではない。

営利企業である大手製薬会社が、なるべく多くの収益を上げようとするのは、我々が属しているのが資本主義社会である以上、必ずしも悪いこととは言い切れないだろう。

問題は収益を上げるための方法が、数十年前であれば考えられないほど安易で露骨で乱暴なものへと変貌してしまったこと、そしてそれを行政サイドが(医療サイドもだが)全く押しとどめることが出来なかったことにある。

だからこそアラン・シュワルツは本書を「彼らー例えば大手製薬会社ーに関する本」ではなく、「我々に関する本」であると述べたのである。

我々がこうした問題について考え始める上で、本書は間違いなく役立つだろう。

以下に本書の「訳者あとがき」から抜粋しておく。

キース・コナーズが問いかけたことー訳者あとがきに代えてー

デューク大学の同僚であり、盟友でもあったアレン・フランセスによって、死の翌日に公表されたキース・コナーズ追悼文は、以下のように始まっている(BMJ;358:j2253, Published 2017 July 06)。

「2017年7月5日に亡くなる直前、キース・コナーズはこの追悼文の執筆に協力してくれた。彼は自分自身のことについて語りたかったわけではない。注意欠如多動症(ADHD)について最後の警告をしたかったのである。50年前、彼はこの疾患の存在を明らかにし、概念の正当性を立証するために尽力した。それにも関わらず、最近ではその使用に全力でブレーキをかけようとしていたのである」。

コナーズはそうせずにはいられなかった。

小児期のADHDの本当の有病率は2〜3%程度だと考えていたにも関わらず、アメリカにおいて診断される子どもの割合は異様なほどの上昇を続け、15%に達していたためである。

彼が作った「コナーズの評価尺度」が誤用されることを通して、何百万人もの子どもたちが過剰診断され、過剰投薬を受けていた。

どれほど意図していなかったとしても、このような事態を招いてしまったことに関して、コナーズは自分の果たした役割を受け入れたのだ。

 医療や企業の関係者によって診断が歪曲され、ADHD臨床が大きく道を踏み外していると判断したコナーズは、自らが構築したシステムを批判するために立ち上がった。

さまざまな記事や専門家の会議で、彼が抱いている危惧について論じたのである。本書の著者であるニューヨーク・タイムズの記者、アラン・シュワルツとはその最中(さなか)で知り合い、協力関係を築くようになった。

その初期の成果は同紙2013年12月14日の記事「注意欠如症を売り込むー20年にわたる医薬品販売キャンペーンで診断数が急増ー」となって結実した。

 その記事の中で、シュワルツの取材に対してコナーズはこう答えている。

「数字を見れば、この病気(ADHD)が流行しているように見えます。しかしそうではありません。これは前代未聞の不当なレベルで薬を投与することを正当化するためのでっち上げ(concoction)なのです」。

その語気のあまりの鋭さに、いささかたじろぐ読者もいるかも知れない。

また本書の中でも触れられているように、彼が依拠していたCDC(疾病対策予防センター)のデータの精度について疑問視する研究者がいたのも事実である。

 だがコナーズの危惧は杞憂ではなかった。

今年(2021年)になって公表された、ADHDの過剰診断に関するスコーピングレビュー(既存の知見を網羅的に配置した上で、ガイドラインに沿って整理し、研究が行われていない領域を特定することを目的としたレビュー)は、この疾患が実際に過剰診断され、過剰投薬がおこなわれていることを明白に裏付けるようなエビデンスを見出したのである(Luise Kazda他;Overdiagnosis of Attention-Deficit / Hyperactivity Disorder in Children and Adolescents. A Systematic Scoping Review, JAMA Network Open.;4(4): e215335. 2021)。

 ADHDと診断される青少年の数は、アメリカでは数十年にわたり、一貫して増大して来た(これは必ずしもアメリカのみにみられる現象ではなく、例えばスウェーデンでは2004年から2014年までの10年間で生涯有病率が5倍以上に増えている)。

だがこれは、時と共に青少年のADHD行動が増大していることを意味していたわけではなかった。

チェックリストで確認された問題行動の数は、変化していないか、むしろ減少していたのである。

そこから容易に予想されることではあるが、新たに見出された症例の大半は、軽症である可能性があることも明らかになった。

 軽症例の診断が増えることのどこが問題なのか、訝(いぶか)しく思う人もいることだろう。それはADHDに対する認識が向上し、医療へのアクセスが改善された結果であり、むしろ良いことではないのか。

だが本書に登場する少女クリスティンが辿った経過を見れば解るように、軽度の症状を示す青少年をADHDと診断し、治療をおこなうことにはさまざまなリスクが伴う。

たとえばADHDと診断されることにより、患者が無力感や恥辱感を抱き、消極的になる恐れがあること、さまざまな問題に対する、周囲の人々の責任感が低下する可能性があることは比較的良く知られている。

また生物医学的説明がなされることは、症状の背後にある個人的、社会的、そしてシステム的な問題から目を逸(そ)らすことに繋がりかねない。

これらは相まって、治療にマイナスの影響を与える可能性がある。

例えそうしたリスクがあったとしても、それを補って余りあるほど症状の改善が見込めるなら、軽症例を積極的に診断することにも意義は見いだせるかも知れない。

しかし症状が軽度になるに伴い、治療の効果は減少することが知られている。また処方された精神刺激薬が、見逃されていた精神疾患を悪化させたり、乱用を引き起こす可能性も決して少なくない。

キャズダらは、症状の軽い青少年をADHDであると診断・治療することの、長期的なメリットやデメリットをテーマとした研究が不十分であると指摘した上で、軽症例に対して診断や治療をおこなうのはメリットに乏しく、有害性の方が上回っている可能性があることに注意を促している。

ちなみに軽症例の診断や治療が増加しているのは、決してADHDだけに限られたことではない。

例えば最近おこなわれたメタ分析は、自閉スペクトラム症の患者と、そうでない人との間の違いは、この15年間減少し続けていることを示している(Eya-Mist Rødgaard他;Temporal Changes in Effect Sizes of Studies Comparing Individuals With and Without Autism : A Meta-analysis. JAMA Psychiatry. 76(11):1124-1132. 2019)。

これは現在自閉スペクトラム症と診断されている人々が、以前は正常範囲内とみなされてきた者も含めた、不均一な集団となりつつあることを意味している。

こうした診断のインフレが起こった原因として、アレン・フランセスらは以下の2つの事項を挙げている(Laura BatstraとAllen Frances ;Diagnostic Inflation-Causes and a Suggested Cure. J Nerv Ment Dis ,vol.200: 474-479,2012)。

まず1980年に米国精神医学会が「精神疾患の分類と診断の手引き第3版(DSM-III)」を出版したことの影響が挙げられる。

DSM-IIIは様々な領域において、多くの新しい診断を導入した。それらの診断の閾値(いきち)は低く、達成しやすかったため、高い有病率が作り出されることになった。

DSM-Ⅲに始まったこうした問題は、本質的な改善を見ないまま、現行のDSM-5に至るまで一貫して引き継がれているのである。

第二に製薬会社の大きな後押しがあったことが挙げられる。残念ながら精神医学には客観的な生物学的検査や、診断に関する明確な境界線が存在しない。

本書にも詳細に述べられているように、大手製薬会社は精神医学のそのような弱点を最大限「活用」した。

向精神薬販売促進のため、莫大な資金力とマーケティング力を駆使して、まず精神疾患を売り込むことに力を注いだのである(現在「売り出し中」の精神疾患としてアレン・フランセスが挙げている中には、ADHDに加えて自閉スペクトラム症、双極性障害、うつ病が含まれる)。

こうした診断のインフレを抑制し、不必要な治療により生じる損害とコストを削減すること、そして過剰診断と嘲笑から精神医学を救うことに、キース・コナーズは人生最後の時期を捧げた。

驚くほど膨大な取材に基づいて本書を書き上げたアラン・シュワルツの尽力と共に、我々はコナーズの誠実さに対して深謝すべきだろう。

最期に本書ADHD NATION-Children, Doctors, Big Pharma, and the Making of an American Epidemic-の著者であるシュワルツについて簡単に紹介しておく。

アラン・シュワルツは、公衆衛生問題に関してニューヨーク・タイムズ紙に掲載したさまざまな記事で知られるアメリカのジャーナリストである。

これまで報道関係で9つの賞を受賞しており、アメリカン・フットボール選手にみられる脳震盪の深刻さを明らかにした一連の記事で、ピューリッツァー賞にノミネートされた。

その取材力は質量ともに圧倒的であり、最晩年のキース・コナーズが全面協力したことも相俟(あいま)って、本書を類(たぐ)い稀(まれ)なものとしている。

(なお日本における最近の事情について知りたい方は、奇しくも本書と同時期に出版された、医療ジャーナリスト鳥集徹氏の著作「医療ムラの不都合な真実」[宝島社新書、2022]の第3章を読むことをお勧めしておく)。