BPDとADHDーその1ー
このたび「ADHD NationーChildren,Doctors,Big Pharma,and Making of American Epidemicー(そのまま訳せば「ADHDの国ー子供たち、医師たち、大手製薬企業、そして作られたアメリカの流行病ー」ということになるだろうが、邦題は「ADHDの大国アメリカ つくられた流行病」で決定)」という本を、誠信書房から上梓することになった。
本書はADHD(注意欠如多動症)という、極めて有益である可能性のあった疾患概念が、さまざまな要因の影響の元に次第に歪められていき、最終的には「偽の流行病」へと変貌していくまでの過程を丹念に描いたものである。
著したのはニューヨーク・タイムズの記者アラン・シュワルツだが、「コナーズの評価尺度」を作った当人であり、この疾患の生みの親とも言える、キース・コナーズが取材に全面協力したために、専門家の側から見ても極めて興味深い書物となっている。
ADHDに少しでも興味がある人は、一般の読者であるか専門家であるかを問わず、一読すべき書物であることは間違いない。
(この本については、別に回を取って紹介する予定である)。
それに因んで、今回はBPD(境界性パーソナリティ障害)とADHDというテーマで論じることにしよう。
近年いよいよ明らかになっていることだが、精神疾患のいくつかのカテゴリーは、深刻な過剰診断がなされた結果として、まるで「流行病」であるかのごとき様相を呈している(Paris.J ; Overdiagnosis in Psychiatry, Oxford University Press, 2015)。
その代表的な例として上記のADHDが挙げられる。
精神科領域において、ある疾患が「流行病化」することには大きな問題がある。
「流行」中の診断カテゴリーが、他の疾患が示す精神症状を説明するためにも用いられてしまう傾向が強まるためである。
ちなみに、内科や外科といった他の医学領域では、基本的には生物学的検査に基づいて診断がなされるため、必要な検査のし忘れや、データの読み取りミス等による「誤診」という問題は起こり得るにしても、治療者たちが「なんとなく、つい流行診断をつけてしまう」という問題は比較的起こりにくい。
当然ながら、ある精神疾患に対して、「流行」中の他の精神疾患のレッテルを貼り、そちらの治療をおこなったところで、それが奏効する可能性は低い。
だから精神科領域である疾患が「流行」した場合、それが回り回って他の疾患の治療にマイナスの影響を与える、といった事態が生じやすいのである。
ではADHDという疾患の「流行」が、BPD臨床や治療に対して与える影響はどうだろう。
成人ADHDの患者の中には、BPDを併存している者もいることは確かである(Miller,Nigg,& Faraone ; J Abnorm Psychol. Aug; 116( 3) : 519-28.2007)。
だがこれは、BPDとADHDの診断基準が重複していることに由来する、人工的な産物である可能性があることに注意しなければならない(Moukhtarian 他; Borderline Personal Disord Emot Dysregul .20 ; 5:9. 2018)。
確かにADHDとBPDには、以下のような特徴が共通して認められるとされている。
まず発症時期。
ADHDでは小児期または青年期早期の発症とされる(さらに、最近は成人期早期に発症するケースもあることが強調されるようになっている)のに対して、BPDでは青年期あるいは成人期早期の発症であるから、両者の発症時期は重なっているように見える。
だが両者の発症年齢はもともと重なっていたわけではない。
BPDの発症年齢に関しては従来からほぼ変更されていないー最近になって、思春期に発症する可能性があることが慎重に主張されるようになったがーのに対して、本来小児期であるとされたADHDの発症年齢が、果てしなく「上方修正」され続けた結果、重なるようになってしまっただけの話である。
ADHD発症年齢の「高齢化(?)」は止まるところを知らず、今や成人どころか、老人になって初めてADHDが見出されることもあると大真面目に主張する論者もいるほどである(調べてもらえばわかるが、これは冗談ではなく、本当の話だ)。
だがADHD症状を持つとおぼしき成人に対して 、「大人のADHD」という診断を下すのが妥当であるかどうかに関しては、最近疑念が抱かれるようになって来ている。
このあたりは大事な話なので、少々回り道になるかも知れないが、詳しく紹介しておくことにしよう。
これまで成人年齢の患者に対してADHDという診断を下すのが正当化されてきたのは、これらの患者が罹患しているのが小児期のADHDと同じ障害であり、同じ神経発達上の病因を持つと見なされてきたからである。
すなわちこの疾患は、小児期から大人になるまで同じ人に対して影響を与えるとみなされてきたのだ。
DSM-5を作るに当たって、ADHDおよび秩序破壊的行動障害に関する作業グループが、「ADHDは小児期に始まる」と主張し、小児期に適用されるものと同じ項目を、年長の青年および成人に診断を下すための正式な基準として採用したのも、同様の仮説に基づいたものである。
だが最近ニュージーランドでおこなわれた、出生コホート研究によりもたらされた結果は、この仮説に重大な疑義を生じさせることになった( Moffitt.TEほか;Is adult ADHD a childhood-onset neurodevelopmental disorder? Evidence from a 4-decade longitudinal cohort study,Am J Psychiatry. 172(10): 967–977.2015)。
これはニュージーランドにある、人口13万人の都市ダニーデンで、1972年の4月から1973年の3月までの間に産まれた全ての子供(1037名)を対象とし、3才から15才までは2年おき、15才から21才までは3年おき、それ以降は26才、32才、38才時にADHDに関する評価をおこなったものである。
調査からの脱落率は極めて低く、38才時に生存していた1007名のうち、95%が評価を受けた。
この集団を対象として、小児期に診断されたADHD症例のフォローアップ分析と、成人期に診断されたADHD症例のフォローバック分析を行ったのである。
驚いたことに,小児期にADHDと診断されたグループと、成人期にADHDと診断されたグループは、ほとんど重なることがなかった。
成人期にADHDであると診断されたグループの9割は、小児期にADHDの既往を持っていなかったのである。
更に驚くべきこととして、成人でADHDと診断された患者グループには、神経発達障害としてのADHDの特徴であるはずの、小児期の神経心理学的不全が存在していなかったことが挙げられる。
たとえばこのグループの患者は、WAIS-IVのワーキングメモリ指標(短期記憶の能力を測定する指標)や、一般的にADHD患者の主要な不全であるとみなされているCPT(Continuous Performance Test:持続的注意集中力検査)に関して、対照群と差がなかった。
そして、神経心理学的検査において不全が見出されていないにも関わらず、成人期にADHDと診断されたグループは、例えば店に何を買いに来たかを忘れる、テレビやラジオをつけていると頭が働かない、喚語困難(語の想起障害)といった、認知機能に関する愁訴を報告することが多かったのである。
また小児期にADHDと診断されたグループでは、多遺伝子リスクスコア(PRS:疾患に関連する遺伝子変異の数により、疾患リスクを評価するための指標)の上昇が認められたのに対して、 成人期にADHDと診断されたグループでは 認められなかった。
これらの結果をどう考えるべきなのだろうか。
モフィットらは2つの可能性を挙げている。
第1に、成人にみられるADHD症状は、他科においては発熱に相当するような、ごく一般的にみられる精神医学的症状に過ぎないのではないかという可能性である。
その場合、ADHDとおぼしき症状は、さまざまな異なる疾患に伴って生じる、非特異的なものということになるだろう。
(当然ながらー発熱と同様にーこうしたADHD様症状に対しても、何らかの治療的対応がなされる必要はあるだろうが)。
他方で「大人のADHD」は、子供のADHDとは全く異なる、別個の独立した疾患である可能性もあるとモフィットは言う。
その場合、「大人のADHDに罹患している患者」とは、症状が表面的に類似していたために、不幸なことにADHDという神経発達障害と間違えられ、誤った病名がつけられてしまった人達であるということになろう。
つまり「大人のADHD」という概念は、その妥当性に関して大いに疑いの目が向けれらている状況なのである。
BPDとADHDの発症時期は重なるという主張が、必ずしも妥当であるとは言えないのはそのためである。