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BPD寛解までの期間は2年か6年か?ー「BPD治療ハンドブック 訳者あとがき」補遺 その1

ガンダーソンの著作「境界性パーソナリティ障害治療ハンドブックー<有害な治療>に陥らないための技術ー」の翻訳を、今年の春に岩崎学術出版から上梓(じょうし)した。

今さら言うのも何だが、『<有害な治療>に陥らないための技術』とは穏やかでない副題だと思う人もいるかも知れないとは思う。

だがこれは本書の序文においてガンダーソン自身が述べている以下のような文章を、ほぼそのまま<引用>したものに過ぎない。

界性パーソナリティ障害(BPD)の患者は、入院患者および外来クリニックの患者の約20%を占める。それにもかかわらず医療費がうなぎ登りの時代において、彼らに対して提供されるケアは、質的に極めて一貫性に欠けたものであり、さらに悪いことには有害なものとなりやすい」

ガンダーソンが慨嘆(がいたん)しているように、BPD患者に対して提供されるケアの質にはしばしば大きな問題がある。

ただし問題は提供されるケアの質だけに止まらない。

BPDに関してメディアを通して提供される情報も、その有害さに関しては時に勝るとも劣らないのである。

私は「訳者あとがき」の中で、そのような<有害なもの>の一つとして、昨年9月に放映された、BPDをテーマとした某公共放送の「教育番組」における「専門家(とされる人物)」の発言を3つ取り上げ、批判的にコメントした。

なぜなら番組内における「専門家(とされる人物)」の、BPDの病因と予後に関する説明が、控え目に言っても非常に問題の多いー率直に言えば極めて有害なーものだったためである。

その説明内容とは以下のようなものである。

A. BPDの病因は、非常に過酷な家庭環境や愛情不足な状況で育ったことである。

B. BPDのもう一つの病因は、一見すると恵まれた家庭環境に育ったように見えても、その家の「こうでなければならない」という基準に支配されて育ってきたことである。

C. BPDの症状は6年で約半数が寛解する(診断基準を満たさなくなる)。

驚くべきことに、「BPDの病因と予後」という極めて重要な問題を取り上げているにも関わらず、上記の3項目の中で適切に説明されているものは1つとしてない。

さらにAやBのような説明を平気でしてしまうところを見ると、この「専門家(とされる人物)」が、BPDに関する基本的知識を身につけているかどうかは疑問である(BPDの病因として最も重要なのは遺伝的要因であるから、たとえ環境要因について触れるとしても、遺伝的要因との相互作用について論じないのは論外である)。

ただし今回この件についてわざわざ取り上げようと思ったのは、こんな初歩的なことについて改めて論じたかったからではない。

項目Cに対して私が「(最も代表的な2つのフォローアップ研究によれば、BPD患者の半数が寛解するまでの期間は2~3年だが、<寛解している期間>をものすごく長く[たとえば4年以上]取れば、6年かかるということもあり得るから)間違いではないが、適切とは言えない」「<6年で約半数が寛解>という数値を支持するデータはない」とコメントしたことについて、ある人から質問を頂いたためである。

質問は以下のようなものであった。

適切かどうかはともかく、「BPD患者の約半数は6年で寛解する(診断基準を満たさなくなる)」とする説明にも、少なくとも典拠となる論文くらいはあるはずだから、それが何かを教えて欲しい、ということが1つ。

もう1つは、典拠になる論文がもし存在するなら、私が「<6年で約半数が寛解>という数値を支持するデータはない」と書いているのは問題ではないか、ということである。

なるほど、言われてみれば「(典拠となる)データはない」でおしまいでは不親切すぎたかも知れない、とは思う。

でも「ない」と書いたことにも根拠はあるのだ。

おそらくCの典拠となる論文があるとすれば、2010年に公表されたDavidson KM他によるCognitive therapy v. usual treatment for borderline personality disorder: prospective 6-year follow-up , Br J Psychiatry.2010 Dec;197(6):456-62である。

だが題名を見ればすぐ分かるように、これはもともと一般的なBPD患者の予後をフォローアップする目的でおこなわれた研究ではなく、「パーソナリティ障害に対する認知行動療法(cognitive–behavioural therapy for personality disorders : CBT-PD)」の治験を目的として書かれた論文である。

つまりBPD患者を2群に振り分け、認知行動療法(CBT-PD)と通常の治療(treatment as usual :TAU)を1年間おこなった上で6年間追跡し、治療効果を比較するのがこの研究の本来の目的なのである。

この論文では、6年後にはいずれの群においても半数以上のBPD患者が寛解していたことが明らかになった(CBT-PDの群では56%、TAUの群では52%の患者が診断基準を満たさなくなっていた)とされる。

したがってBPDの寛解までの期間は6年だと言いたくなる人もいるのかも知れないが、もちろんそのように理解するのは誤りである。

まずBPDに関する予後一般について論じたいなら、CBT-PDであれTAUであれ、ある治療法を受けた患者だけをフォローしても意味がない。

したがってこの研究結果は、一般的なBPD患者の寛解期間を6年とする根拠にはなり得ない。

ただし私が「<6年で約半数が寛解>という数値を支持するデータはない」と書いたことには、別の、もっと重大な理由がある。

もうずいぶん長くなってしまったので、それについては次回に書くことにしよう。