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「BPD患者の家族のためのガイドライン(J.G.ガンダーソン)」を読むーその17ー

いよいよ「限界設定:率直に、しかし注意深く」という項目の最終節に至った。

そしてこれはこのガイドライン全体の最終節にも当たる。

今回は、患者の言動に家族が耐え難くなった場合、いつどのような形で最後通告をするかがテーマである。

(ちなみに最後通告とは「最後の改善要求」のことであり、逆に言えば「次は何らかの具体的措置を取る」と通告することである)。

威嚇や最後通告を用いるのは慎重に。それらは最後の手段である。威嚇や最後通告を、他の家族が変わるよう納得させるための手段として用いてはならない。家族がそれをやり通すことが可能であり、また実際にそうするであろう場合にのみ威嚇や最後通告をおこなうこと。他の人─専門家を含む─に、家族がいつそれをおこなうかを決める手助けをしてもらうこと』。

さて、家族からの最後通告というからには、どれほど患者が過激なことをしているのかと思えば、ガンダーソンが挙げているのは「娘がシャワーを浴びようとしない」「一日中ベッドから起き上がろうとしない」といった、いささか牧歌的とも言える例ばかりである。

最後通告とは、こうしたことを繰り返している患者に対して「家から出て行け」と家族が告げることであるらしい。

まあこの程度のことで「家から出て行け」と言う親など(少なくとも日本には)いないだろうし、そんなことを言う前に家族が出来る治療的関わりはいくらでもある。

(テーマからずれるのでここで詳しくは説明しないが、そのような方法に興味のある方は、拙著「治療者と家族のための境界性パーソナリティ障害治療ガイド(岩崎学術出版、2014)」を参照されたい)。

実際に家族が最後通告をしたくなるような状況とは以下のようなものだろう。

家の中を滅茶苦茶に破壊し続ける(ドアと言わず壁と言わず穴だらけで、客人を呼ぶことが出来ない)。

怒るとしばしば刃物を持ち出して家族を脅す。

家族に土下座を強要した上で、その頭を蹴りつける。

家族の金を繰り返し盗んだり、クレジットカードを勝手に使ってゲームに大金をつぎ込んだりする。

掃除機その他の家具で家族を殴りつけ、流血騒ぎを起こす。

しばしば暴力に訴えて家族から金を脅し取る。

私自身が実際に経験したことのある症例だけで、これ位はすぐに思いつく。

よく家族が我慢して同居しているものだ、と感心する例だって決してまれではない。

もっともこうした行動を繰り返している患者だから、最後通告をしても仕方がない、あるいは最後通告するのが望ましいということには勿論もちろんならない。

むしろ家族が患者の問題行動を改善したいと望むなら、「威嚇(threat)」や「最後通告(ultimatum)」を用いるのは下策である。

患者を脅すのは可哀想だから、という理由ではなく、それを実行に移すのが難しい場合が多いからである。

どういうことか。

無理もないことだが、こうした患者は自立能力を持ち合わせていない場合が多い。

(もし持ち合わせていたならー家族のことを気にくわないと言って荒れているのだからーとっくの昔に自分から家を出て行っていたことだろう)。

家から出て行く能力が患者自身に欠けているなら、出て行く場所を家族が用意しなければならない。

それには余分な費用がかなりかかる。

それにアパート暮らしをさせるだけの金が仮に用立てられたとしても、患者自身がそこに住むことを納得するとは限らない。

患者にとって、実家で暮らすよりも不自由になることが多くなるためである。

部屋は手狭になることが多かろう。

何もせずとも食事やおやつが自由に手に入ることはなくなるだろう(少なくとも宅配の注文くらいは自分でしなければならないない)。

それにこうした患者はもともと孤独に弱い(気が向いた時に当たり散らす相手もいないのは寂しいものである)。

そんな事情だから、自分から出て行くというならともかく、「出て行け」と言われておいそれと出て行く可能性は低い。

幼児ではないから、力ずくで追い出すことなどまず不可能だろう。

患者を脅すだけ脅しておいて、家族にそれを実行に移す意思あるいは能力がない、と言うことが明らかになった場合、以前にも増して患者からめられるのは確実である。

(「口先だけ」の人物が他人からめられるのは世の常である)。

ではどうすれば良いのか。

もし家族が患者の行動を変えたいのなら、脅したり怒ったりすることを通してではなく、さまざまな形で家庭内の条件を変化させ、患者の行動が修正されるように介入していくのが最も確実である。

患者が家を破壊している場合には、損害金額(修理あるいは再購入にかかる金額)を計算し、その金額に相当する金額を小遣いから減らしていく(全額返済できるまでの期間、小遣いを大幅に減額するか、あるいはゼロにする)。

包丁などの刃物が簡単に手に入らないように隠す。

財布やクレジットカードを、患者が盗むことが出来ないような形で厳密に管理する。

患者が暴力で脅してきた場合でも、「家族が家から居なくなる」という形で対応するよう心がけ、患者の手に金銭が絶対に手に入らないようにする。

暴力や金銭的被害を受けている間はー最低限の食事や衣類などは別だがー家族から患者に対して余分な金品を与えぬよう心がける。

たとえば家族全員で出かけた際に、患者が服などをねだったとしても、「うちはお金がなくなってしまったから」という理由を言った上で、買い与えないよう心がける。

(患者のせいでー時には数十万、百万単位のー金銭的被害が出ているのだから、これは嘘ではない)。

あるいは買い物に出たついでに、お菓子や服などを、患者に対するおみやげとして買って帰らぬよう心がける。

このあたりを手始めに、家族の対応の変化が目に見えるような形で患者に感じ取れるよう、日常生活の中で徹底していくのである。

こうした対応をおこなう目的は、以下のようなものである。

まず、患者が問題行動を繰り返せば繰り返すほど、患者にとってマイナスの結果が積み重なっていくように環境調整をおこなう。

患者だって、自分を取り巻く状況が、何となく悪化しているー自分にとって不利益が生じているーことくらいは何となく解る。

当然患者はその損失を補填ほてんしようとするだろう。

当初は今までのやり方ーたとえば暴力に訴えることーを、さらに何回でも積み重ねることを通して目的を達成しようとするかも知れない。

だがそれをいくら繰り返しても目的物(金や物)が手に入らないことがわかってくると、さすがに患者も自分の行動を変える以外に選択肢がなくなってくる。

それがー患者自身が意識しているか否かを問わずー周囲にとって望ましい方向への行動変化となる可能性は高いだろう。

このような方法の長所は、治療的介入の目的や意義、患者にとってのメリットを、必ずしも患者自身が理解している必要はないという点にある。

患者は環境変化に応じて、自分自身のために行動を変容していくだけなので、心理的にはかえってストレスは少ないのである。

(もし患者が治療目的を理解し、行動を変化させるような方向で家族と合意するに至るのなら、それに越したことはないかも知れないが、「最後通告」をするかどうか家族が迷うような状況で、それが出来る可能性は低いだろう)。

もちろん、こうした介入を家族だけでおこなうことは極めて難しい。

専門的な能力を持つ治療者の助言や指導の下におこなうことは不可欠と言って良いだろう。

それでも「脅し」や「最後通告」といった手段に頼ることなく、患者の問題行動に対応できる可能性があることを家族が弁えておくのは重要である。