「BPD患者の家族のためのガイドライン(J.G.ガンダーソン)」を読むーその14ー
「限界設定:率直に、しかし注意深く」という項目をさらに続けることにしよう。
ガンダーソンはBPD(境界性パーソナリティ障害)の患者が行う問題行動に対して、以下のような方針で対応するよう家族に勧める。
『自分の行為により生じる当然の結果から、家族メンバーを庇い立てしないこと。彼らが現実について学習できるようにすること。少々壁にぶつかる必要のある場合が多い』
さて今回は、患者が家族の金を盗むという事例について取り上げる。
こうした行動に対して、家族はどのように対応すべきであり、どのように対応してはならないのだろうか。
『症例2
家族と同居中の25歳の女性は、家族メンバーのお金を盗んでいる。
家族は彼女に対して大いに怒り、時には彼女に出ていけと脅すものの、それを実行に移すことは決してなかった。
彼女から頼まれると、これまで返済したことは一度としてないのに、家族は金を貸してしまう。
もし家族がお金を貸さないと、彼女は他人の金を盗むかも知れない。
その結果、彼女は法的な責任を問われる可能性がある。
またその巻き添えを喰って、他の家族メンバー全てが屈辱感を味あわされる羽目に陥るかもしれない。
家族はそれを恐れているのである。
だがもし家族が彼女に金を与えるなら、家族の金を盗んでも何の罰も受けずに済むと娘に教えていることになってしまうだろう。
彼女の行動は、事実上家族を強請っているに等しい。
家族は恐怖に脅かされながら暮らしているため、彼女が望むものを与えてしまうのだ。
こうしたことに対して限界設定がなされない限り、彼女の行動は持続する可能性が極めて高いだろう。
逆に家族は、彼女を庇い立てするのを止めることだって出来る。
彼女が家から出て行くよう主張することによって、あるいは彼女にお金を貸すのを止めることによって、そうすることは決して不可能ではない筈だ。
その結果、彼女が他人の金を盗んでしまい、法的事態に直面することになる可能性は確かにあるかも知れない。
だがこれは彼女にとって、現実とはどのようなものであるかを学ぶ貴重な機会にもなり得るのだ。
むしろ法的責任を問われることは、彼女がより良い方向へと変化するきっかけを与える可能性すらある。
こうした出来事を経験していたおかげで、後に社会に出たとき、彼女はより良く機能出来るようになるかも知れないのだ』
BPD患者が以下のような行動を取るのは決して珍しいことではない(なんといっても「衝動性」は彼らの代表的な症状の1つなのだから)。
家の金を盗む。
万引きを繰り返す。
家族のクレジットカードを勝手に使って、(ゲームの課金などを含む)買い物を繰り返す。
後でアルバイトをして返すと称して、自分が欲しいものがあると、家族からしばしば金を「借りる」。
こうした問題の数々に対して、家族はどのように対応したら良いのだろう。
ガンダーソンは、家族が患者に「家から出て行くよう命じるだけでなく、それを実行に移すこと」「金を<貸す>のを止めると言うだけでなく、それを実行に移すこと」によって、限界設定を行うことが望ましいと主張する。
その結果として患者が他人の金に手を出し、警察に捕まることになったとしても、それは長い目で見れば決してマイナスとは限らないと言うのだ。
ガンダーソンのこの主張はー後に述べるように、どれほど現実に実行可能であるかに関して疑念なしとはしないもののー基本的には決して間違っているわけではない。
だが私はこうした形で「限界設定」をおこなう前に、家族がなしておくべき限界設定がたくさんあることもまた間違いないと考える。
どういうことか。
例えば患者が家の金を盗むという事例について具体的に考えてみよう。
きちんと家族に謝罪させる。
盗んだ金を返却させる。
もし既に金を使ってしまっていて、すぐには返却することが出来ないなら、盗んだ額に相当する金額を小遣いから減額する。
こうした常識的対応を、家族が厳密に実践するだけでも「自分の行為により生じる当然の結果から、家族メンバーを庇い立てしない」という限界設定の第一歩は踏み出せる。
もっともこれはあくまでも「第一歩」に過ぎない。
次なる一歩として「患者が自宅内で社会的信用を失う」という段階がそれに続かねばならない。
財布やクレジットカード、電子マネーとして使える媒体(Suicaカードなど)を、本人の手の届く場所に置いておかないよう厳密に注意し、基本的には鍵のかかる場所に一々しまっておくようにすること。
背広などのポケットに小銭や財布などを入れたまま、服をハンガーに掛けておかないように厳密に注意すること。
財布の中の紙幣や硬貨の種類および数を常に数えてチェックしておくこと。
これらの対応をー怒るのではなくー淡々と継続していくのである。
いつまで?。
患者にとって「他人の金を盗まない(盗めない)生活」を送るのが「普通(あたりまえ)」になるその時まで、というのがその答えである。
これは患者の従来の生活習慣や生活形式を諦めさせ、新たな生活形式を身につけさせることに相当するから、かなり長期にわたりー少なくとも数ヶ月以上ー続ける必要があるだろう。
むろんこうした対応を行っている最中でも、患者が再び金を盗もうとする可能性は充分にある。
例えそのようなことが起こった場合でも、その度に患者に謝罪させ、返却させ、家族が防御体制をよりきちんと整える、という対応をー怒ることなくー「盗み」が実際に出来なくなるまで、何回でも繰り返すことが重要である。
こうやって対応法を列挙していくと、「ここまでしなくても」と思う家族もいることだろう。
それにこうした対応を続けていくのは、家族にとってかなりー物凄く!!ー面倒なことでもある。
だがこれらは、窃盗の被害に遭う可能性のある人達が、しごく当たり前のように取る対応の一環に過ぎない。
そしてこれらは患者の行動が引き起こした当然の結果でもある。
上記のような対応は、こうした現実を患者に対して教え、新たな生活習慣を身につけさせるための、絶好のきっかけを与えるのである。
「家族メンバーを庇い立てしないように」という指針の本来の目的は、そういうことであるべきだろう。
逆に家族がこうした介入を行わない場合、結局のところ患者は「他人の金を盗めるような生活」を送るのが「普通(あたりまえ)」という形で生活形式を身につけることになる。
何が「普通(あたりまえ)」であるかの基準はーそれがどのようなものであれー結局のところ家庭(生まれ育った環境)の中で身に着けるしかないのだから。
そして「普通(あたりまえ)」の基準となる軸が偏ったまま社会生活を送ることには、控え目に言ってもかなりのリスクが伴う。
そうしたリスクを回避するという意味から言っても、家族がこうした介入をおこなうのは、充分に理に適(かな)ったことなのである。
もしこうした介入を家族が試みない、というのであればー家族に充分な金銭的余裕があり、いくら盗まれてもひたすら耐え抜くというなら話は別だがー患者と共同生活を続けるのはどのみち難しくなる可能性が高い。
最終的にはガンダーソンが述べているように、「泥棒とは一緒に暮らせない、出て行け」と言いたくなってしまう可能性だってあるかも知れない。
だが「家から出て行くよう命じる」と言ったところで、患者は一体どこに出て行くというのだろう。
もともと充分な自立能力があるくらいなら、自宅にいて家族の金を盗まずとも済んでいたはずなのだから。
限界設定のラインは、自宅から患者を追い出す「前」の段階で引いておく必要があるのはそのためである。