「BPD患者の家族のためのガイドライン(J.G.ガンダーソン)」を読むーその10ー
「問題に対処する:共同で一貫した態度で対処すること」の続き。
BPD(境界性パーソナリティ障害)の患者が引き起こす問題行動に対処する際、家族がどのように協力体制を作り上げるかについて、ガンダーソンは以下のように述べている。
「家族メンバーはお互いに協力して行動する必要がある。親の一貫性のなさは深刻な家族葛藤を増悪させる。誰もがやり通すことが出来るような方針を作り上げること」
ここではまず「親の一貫性」という言葉が何を意味しているかに注意すべきである。
もちろんある親の態度が、個人として一貫していることは、一般的には望ましいことと言えるのだろう。
だがここで言われているのはそのようなことではない。
基本的な対処方針が、両親の間で一致しているという意味である。
どういうことか。
BPD患者の問題行動にどのように対処するかに関して、家族メンバーー主に問題になるのは両親だろうーの間で意見が割れるのは良くあることだ。
ことによると、両親が互いに正反対の意見を持っていることさえあるかも知れない。
ガンダーソンは、こうした両親間の意見の食い違いが、患者に対してしばしば大きなマイナスの影響を与えるという。
そう言われても納得がいかない人もいることだろう。
両親は互いに違う人間なのだから、価値観も意見も対処方針も、多少なりとも異なって当然である。
それを家族メンバー(患者)に対して、各々(おのおの)の親が率直に伝えて何が悪いというのだろう?。
だがもし患者の問題行動を収めたいと本気で思うのなら、家族がこのような関わり方をするのは出来る限り避けた方が良い。
なぜならBPD患者は、「構造化されない(=自由度の高い)」形でおこなわれた治療的介入に対して、充分な効果を示すことはまずないからである。
それがどのようなことなのかについて、症例に沿って具体的に説明することにしよう。
(なお以下に挙げている症例は、ガンダーソンが挙げているものを参考にしながら、こちらが自由に改変したものである)。
患者は26才の女性で、仮に名前をA子としよう。
10代からさまざまな激しい症状を示し、「親のせいでこうなった」と親を責め立ててきた。
「こんな家にはいられない」「自分は自立する」「働く」と主張して、親の金銭的援助のもとにアパートを借り、一人暮らしを始める。
仕事を始めるが長続きはせず、さまざまなアルバイトを転々とする。
現在では単発のバイトを時々入れて小遣い稼ぎをしている状態である。
このところ課金制のオンラインゲームにはまり、バイトのない日は昼夜を問わず、ずっとスマホでゲームをしている。
家賃、食費、光熱費、通信費の全てを支払ってきた親は、次第にクレジットカードで高額の請求がされていることに気付く。
余分に請求された金額は、月に数万円から、時には十万円以上にも及ぶ。
驚愕した親がA子に問い詰めると、「今月はちょっと使いすぎただけ」「いずれ働いて返す」と言うだけで、一向に「借金(?)」が返済される気配はない。
それどころか、生活費が足りないと称して、金銭面での支援を求めてくる始末である。
その理由は友人と遊びに行くから、会食がしたいから、着ていく服がないから、美容院に行きたいから等さまざまであるが、そのたびに5千円、1万円と与え続けることになる。
月々の小遣い以外に与えている、そうした金額を合わせると馬鹿にならない。
母親はそれを食い止めようとする。
お金を与えるのを拒否し、お金の要求がある度に、その問題の解決に関して娘が自分で責任を取るように言って聞かせるのだ。
A子はお金をくれないのなら、仕方がないので風俗で働くしかない、と言って母親を脅す。
母親は、まともに生活が出来ないのなら自宅に戻るようA子に説くが、A子は頑として聞き入れようとはしない。
他方で母親がいかにひどいか、自分がいかに窮地に陥っているかについて、父親に連絡して切々と訴える(それまでは父親を毛嫌いしており、長らく口も利いていなかったのだが)。
それを聞いた父親は同情し、娘が望むお金を与えてしまう(下手をすれば母親にも内緒で)。
父親は追加でお金を与えるのは、娘の情動的なストレスを和らげるための最善の方法だと考えたのだ。
その内に父親の内緒の「支援」が、母親の知るところとなる。
母親は、A子の自立能力を高めるために自分がした試みを、父親が台無しにしてしまったのを腹立たしく思う。
その一方で父親は、妻は厳し過ぎると思い、娘の病状が悪化しているのは、妻が本人の話を聞こうとしないせいだとして母親を非難する。
さてこれは、先に述べた「構造化されない(=自由度の高い)」状況の典型的な例である。
父親によれば、A子はさしあたりいくらお金を使っても許されるのかも知れず、母親によれば、余分に使って良いお金などないということになるのだから!。
当然のことながら、このような状況に置かれたBPD患者が改善することはない。
ではどうすれば良いのか。
目先のことだけ考えるのならともかく、長い目で見ればA子が送っているような生活を、親が支え続けることが出来ないのは明らかである。
だから母親の方針の方が、父親のそれよりも現実的であることは間違いない。
だがもちろん父親だって、理屈の上ではそんなことは百も承知なのである。
だから両親の間で介入方針の合意に至るためには、なぜ父親が持続不可能で、あまり現実的とは言えないような関わり方をしたくなってしまうのかについて、詳細を明らかにする必要がある。
(誤解を防ぐ意味で急いで付け加えておくなら、実際にはA子の事例の場合とは逆に、父親が現実的な介入を志し、母親が持続不可能な対応を好む、ということだって少なくない)。
そのためには、治療者の主導の下に家族面接をおこなうことが不可欠だろう。
父親は事を荒立てるのに耐えられず、金で済むならと、その場だけでも穏便にやり過ごしたいのかも知れない。
患者が風俗で働いたり、援助交際をするのを阻止したいと思っているのかも知れない。
患者が母親との間でトラブルになっているのは、母親の関わり方が悪いせいだと思い込んでいるのかも知れない。
(父親は、自分なら母親よりもっと上手くやれると思っているのだ)。
金銭的援助をしても構わないから、できれば患者に家に戻って来て欲しくないと思っているのかも知れない。
(患者が自宅にいた当時に起ったトラブルの数々が再来することを想像し、怖気[おぞけ]を振るっているのかも知れない)。
これらに限らず、さまざまな理由や事情が介在している可能性があるだろう。
それらを家族面接の中で詳(つまび)らかにした上でーこの症例の場合で言えばー父親の不安を鎮(しず)めるに足るような説明や介入方法が治療者から提示されない限り、両親の関わりが充分に統一された、効果的なものとなることはないのだ。