「BPD患者の家族のためのガイドライン(J.G.ガンダーソン)」を読むーその9ー
久しぶりにガンダーソンの、「家族のためのガイドライン」へと戻る。
今回はまず「問題に対処する:共同で一貫した態度で対処すること」を取り扱うことにしよう。
ガンダーソンはBPD(境界性パーソナリティ障害)の家族メンバーが引き起こす問題に対処する上での基本方針を、以下のように述べている。
『家族メンバーの問題に対処する際には常に:
a.何がなされるべきかを明らかにする作業に、その家族メンバーを参加させること。
b.その家族メンバーに、その解決法において必要とされることを「やる」ことが出来るかどうかを尋ねること。
c.その家族メンバーが、必要とされることを「やる」際に、他の家族の手助けが必要かどうかを尋ねること』
たとえBPD患者が引き起こす問題が小さなものであったとしても、それに正面から取り組み、改善するよう促すのは、家族にとってしばしば難題ということになるだろう。
家族が患者に注文をつけることにより、せっかく当たり障りのないような形で続いていた家族関係に波風が立つかも知れない。
患者は怒り出すかも知れないし、自宅を破壊するかも知れない。
ことによると自傷行為や自殺企図などの自己破壊的行動に出ることさえあるかも知れない。
そう考えて、患者の振る舞いに問題や不満があったとしても、何も言わずに受け入れてしまう家族は多い。
ガンダーソンは、患者が引き起こす問題に対して、家族は見て見ぬ振りをするのでなく、たとえトラブルが生じる可能性があったとしても、きちんと向き合うべきだと主張する。
私はガンダーソンのこの主張に全面的に賛同する。
ただし残念ながら、それらの問題を家族会議で取り上げ、解決策を考案することさえ出来るという彼の主張は、必ずしも現実的とは言えないとも思う。
なぜならBPDの家族メンバーが引き起こす問題は多岐にわたっており、家族会議で解決策を策定できるような問題は、決して多いとは言えないからである。
たとえば患者が引き起こす可能性だある問題には、以下のようなさまざまなレベルのものが含まれる。
(1)昼夜逆転、部屋を片付けない、家族と口を利かないといった生活習慣に根ざした問題。
(2)物質乱用や浪費、無謀な運転といった、衝動性に関連した問題。
(3)家族に対する暴言や暴力、さらに自宅内の破壊行動といった、感情不安定性や衝動性が複雑に絡みあって生じる問題。
(4)自傷行為や自殺未遂といった、より深刻な問題。
こうした問題のうち、家庭内で安全に取り上げることが出来る(可能性が比較的高い)のは、せいぜい(2)のレベルまでだろう。
(それでもたとえば「患者が部屋にこもり、家族メンバーを徹底的に無視しているという問題」をどう解決するかについて論じる家族会議に、患者が参加することを期待するのは、もともとかなり無理があるだろうが)。
また(4)のレベルの問題になると、これらはそもそもBPDの代表的な症状の一部なのであり、専門家抜きで解決策を考えるのはあまり現実的とはいえない。
だからガンダーソンの心意気は良いとしても、現実に問題解決をおこなっていく上ではーできれば患者自身も参加する形でー家族面接をおこなうに如(し)くはないのである。
では「問題解決の場としての家族面接」は何を目的とし、どのようになされるべきなのだろうか。
意外に思われるかも知れないが、家族面接をおこなう最大の目的の一つは、そもそも何を「問題」として捉えるべきかについて合意を得ることである。
BPD患者はさまざまな問題行動をおこなうことで知られているのだから、何が「問題」かについて悩む余地などないではないか、と思われるかも知れない。
だが(1)や(2)のレベルはもちろん、(3)のレベルの問題に対してすら、それが「問題」であるという合意がーとりわけ家族間でー得られていないケースが珍しくない。
たとえば日常生活が乱れ、昼夜逆転してゲームにはまっている患者がいたとしよう。
患者の母親はそれを「問題」だと思い、ゲームを制限したり、朝起こそうと試みたりする。
おそらく母親がそれを真面目に試みれば試みるほど、患者との関係は険悪になりやすいだろう。
ことによると単なるトラブルでは済まず、暴力沙汰になることだってあるかも知れない。
だがそれを知りながら黙って傍観していたり、時には患者と一緒になって(「口うるさい」「騒ぎを起こすな」といった理由で)母親を非難する父親は良くいるとしたものである。
当然ながらこのような状況が続く限り、患者の生活形式が変わることは期待し難いだろう。
何を「問題」とすべきかについて、治療者が家族面接の中で繰り返し説明し、家族メンバーから合意を得ておく必要があるのはそのためである。
患者は何を変えていくべきか、そのために家族が協力できることが何かについて家族面接で検討するのはその後の話である。
いやむしろ何を「問題」とするかに関する合意さえきちんと出来ていれば、どのような対策が可能かは自ずと定まってくると言っても良い。
こうしたプロセスを踏んだ後であれば、ガンダーソンが述べているような形で家族会議をおこない、治療の進捗(しんちょく)について家族同士で話し合うことも可能になるだろう。
これまでに述べたことからも分かるように、「家族会議が開けること」は治療の前提ではなく、むしろ目標なのである。