ブログ

「BPD患者の家族のためのガイドライン(J.G.ガンダーソン)」を読むーその7ー

今回から第3セクションである「危機管理:注意を払い、しかし平静を保つこと」に入る。

このセクションは、境界性パーソナリティ障害(BPD)患者の家族が、危機的状況に際してどのように振舞うべきかについて論じたものである。

ガンダーソンが勧めるのは以下のような対応だ。

『非難や批判を受けながらも、防衛的にならぬこと。いかに不当であっても、あまり言い返さず、争わないようにすること。あえて傷つけられるがままにすること。批判されたことの中で正しいことがあればそれが何であれ認めること』。

さてこの指針に対してどうコメントしたものだろう。

実はこのセクションに関する限り、私はガンダーソンの主張に対して、基本的には反対なのである。

何故私が反対するのか、訝(いぶか)しく思う人もいることだろう。

重篤な病気に罹っている、大切な家族メンバーが相手なのだ。

多少不当なことを言われたとてじっくりと話を聞き、言い返したりせずに優しく受け止め、患者の言うことに僅(わず)かでも正しい部分があるなら、それを評価するのが看病する側の努(つと)めではないのか?。

この主張は一見したところ、筋が通っているように思われる。

もし治療的にプラスの影響が得られるなら、私だって喜んで賛成するだろう。

だが残念ながらーよほど患者が安定した状態にあれば別かも知れないがーとりわけ「危機的状況」において、この対応が奏功(そうこう)することはまず期待できないのだ。

もともとBPD患者は、安定した状態にある場合ですら、他人の話を丁寧に聞き取ることが得意ではないー自分にとってあまり興味のない話題や、少しでもつまらないと思った話題に関しては特にそうだ。

(更にまずいことに、患者自身はー例えどんな話題だろうがー「他人の話を聞く」ことくらい簡単にできると思い込んでいることが多い)。

一般的に言っても、トラブルが生じているような状況において、相手の(しばしば自分にとって不快な)主張を、相手の文脈に沿って丁寧に聞き取ることには困難が伴う。

そうした能力に元々不全を抱えているBPD患者にとって、こうした状況に対処することがどれほど困難であるかは想像に難くない。

さて以上を前提とした上で、ガンダーソンが推奨する上記のような対応が、どのような結果をもたらすかについて想像してみよう。

患者がこちらの言い分を聞いていない、あるいは理解する能力に不全があるような状況で、家族だけが一方的に相手の言い分をー場合によっては数時間にわたって!ー聞き続けるとどうなるか?。

まがりなりにも家族という「他人」が相手をしていて、その相手が患者の主張を受け入れているかのように見えるような応対をひたすら続けるのだ。

患者にとっての「心的現実」を、現実そのものと取り違えてしまう傾向を増長させ、BPD患者の認知の歪みを増悪させる結果になることは、火を見るよりも明らかではないか。

(実際そのような事態が延々と繰り返されているケースがしばしば見られる)。

急いで付け加えておくなら、もちろん私はトラブルが生じた際に、家族が患者と言い争った方が良いと言いたい訳ではない。

コミュニケーションを行う上で不可欠の前提が成立していない状況で、「言い合いや議論らしきもの」をいくらしたところで、混乱状況がより一層増悪するだけに終わる可能性が高いに決まっている。

ではどうすれば良いのか。

身も蓋(ふた)もない言い方をするようだが、そうした状況では「コミュニケーションが成り立っていない」ことを可視化するのが一番良い。

つまりそのような危機的状況において、基本的にはやり取りを続けること自体を中止した方が良いということである。

コミュニケーションが「危機的状況」に陥っていると家族が判断した時点で、これ以上やり取りをするのは却(かえ)って良くないとー出来れば穏やかにー告げた上で、その場を黙って立ち去る。

この程度の対応が、実際には最もマイナスの影響も出にくいし、効果も得やすいとしたものである。

では冒頭に示したガンダーソンの指針は、全く無益なものなのだろうか?。

必ずしもそうとも限らないー使い方を変えればの話だが。

どういうことか。

ガンダーソンの主張とは真っ向から対立することになるが、これを家族のためではなく、BPD患者が対人関係全般において実践すべき指針として捉え直すのである。

それだけで、これは治療上極めて重要かつ有益な指針へと変貌することになるだろう。

とりわけ重要なのは、指針の冒頭にある「非難や批判を受けながらも、防衛的にならぬこと」という一節である。

他人とコミュニケーションを行なう際に、BPD患者が「批判や非難」を不当に受けていると感じるーあるいは誤解するーのは良くあることだ。

このような場合に防衛的になり、攻撃的な応対をしてしまうー攻撃は最大の防御(attack is the best form of defense)!ー患者は少なくないが、当然ながら長い目で見ればそれは下策である。

コミュニケーションに躓(つまづ)きが生じているような状況において、相手の主張を、相手の文脈に沿って丁寧に聞き取るという重要な能力を伸ばすための、絶好の機会を逃すことになるからだ。

防衛的にならぬようにし、単に相手の発言を傾聴するというだけに止まることなく、相手の発言がどのような意味を持つ可能性があるか、そして実際にどのように用いられているかを、その文脈まで含めて積極的に探索していくよう努めること。

これはBPD患者が身につけるべき、最も重要な能力の一つである。

当然ながらそうすることは、患者にとって大きな苦痛が伴うだろう。

それどころか、予想外の変化に対する特有の脆弱さを考慮に入れるなら、これはBPD患者にとって最も不得手な作業の一つとさえ言える。

したがって治療者や家族の手助けも不可欠ということになろう(BPD治療に家族面接が不可欠である所以[ゆえん]である)。

だが適切な指導の下にそうした能力の向上に努めるなら、それはBPDという疾患の、本質的な意味での改善に繋がることは請け合っても良い。

「家族のためのガイドライン」を、ガンダーソンの意向に逆らって読み直すという作業は、「いかに不当であっても~(云々)」以下の部分に関しても有益な結果をもたらすことが出来る。

それについては次回に記すことにしよう。