「BPD患者の家族のためのガイドライン(J.G.ガンダーソン)」を読むーその5ー
第2セクションである「家族環境:物事を冷静に捉えていくこと」の続き。
ガンダーソンは以下のように延べている。
『家族の普段の生活習慣をできる限り維持すること。家族や友人との連絡を絶やさないこと。人生には問題以外のものもあるのであり、したがって楽しい時を過ごすのを諦めてはならない』
これはBPD(境界性パーソナリティ障害)に罹患した患者の家族が、日常生活をどのように送るべきかについて述べたものである。
家族の日常生活は、患者の引き起こすさまざまな問題への対応に忙殺されて、それまでとは一変してしまうことが少なくない。
たとえば患者が繰り返し自殺を試みたり、暴力を振るったりしていたら、家族だってそうそう頻繁に外出して、趣味のサークル活動に勤(いそ)しんではいられないだろう。
だがガンダーソンは、例えそのような状況にあっても、家族はそれまでの日常生活のやり方を、あまり変えない方が良いと主張する。
家族が生活の仕方をあまり変えず、交際範囲も狭めないように努めて、楽しくリラックスしてくつろぐ時間を保った方が、冷静に、より良い視点から問題に対処できると言うのである。
私も患者の家族は、できれば日常生活のやり方を大きくは変えない方が良いとは思う。
ただしそれは、ガンダーソンが述べているような、家族が「楽しくリラックスしてくつろぐ時間を取るため」ではない。
日常生活の枠組みが大きく変わらないことは、家族よりもむしろ患者にとって極めて重要な意義を持つためである。
なぜか。
BPD患者は、変化することに対して過敏で脆弱なパーソナリティ特性(神経症傾向)を持っている。
したがって日常生活の枠組みが大きく変わるほどの変化が生活に生じるのは、こうした患者の不安定さに拍車をかけることになる可能性が高いためである。
もちろん家族メンバーの一人が重篤な精神疾患に罹(かか)っているのだから、家族の生活が多少なりとも変化してしまうのは止むを得ない面がある。
だがそれでも、出来ればその変化の幅は、家族の生活の枠組みを大きくは変えない程度であることが望ましい。
これはたやすく達成できることではない。
日常生活を構成する要素のうち、「場合によっては変えて良いもの」と「出来る限り変えない方が良いもの」を識別し、その区別を根気よく貫き通すという作業が必要とされるためである。
では日常生活の中で「出来る限り変えない方が良いもの」とは何か。
それは家族の生活を維持していく上で、最低限必要な活動のことである。
具体的には家事労働を含めた労働(生産活動)に携わること、法事を含めた最低限の親戚間の付き合い、そして最低限の地域社会活動に参加することなどである。
たとえば普段の親の生活習慣からすれば、もうとっくに寝る時間なのに、突然患者が「話し合い」をしたいと親に持ちかけ、翌日仕事があるのに親が深夜から早朝までつき合わされるのは良くあることだ。
上記の原則に照らし合わせるなら、これは「変えない方が良いこと」に属することがわかる。
翌日に親がおこなわなければならない、家事労働を含むさまざまな労働(生産活動)に差し支(つか)えがあることは自明だからである。
「仕事と自分の話を聞くこととどっちが大事なんだ!」と親に迫る患者も良くいるが、親が職を失って最も困るのはむしろ患者自身である。
たとえ職を失わずとも、寝不足のまま仕事をした上に、帰宅してから家事労働に取り組まねばならぬとなれば、親は心底疲れ切ってしまうだろう。
疲れ切った親がおこなう、患者に対する応対は適切なものとはなりにくい。
これらは結局のところ、まわりまわって患者自身に降りかかってくることになる。
以上のようなことの全てを、小さな子供に言って聞かせるようにして「待つこと(衝動性を抑えること)」が持つ、治療的意義を説く必要があるのはそのためである。
一見したところそうは見えないかもしれないが、これは自宅で行う治療そのものだと言って良い。
だからこれらの治療的関りを適切に行うためには、本当は家族や患者自身が専門家の指導を受けることが必要なのである。
さて、ガンダーソンの「家族がリラックスして楽しい時を過ごす」ことの勧めから、ずいぶん遠く離れたところまで来てしまった。
確かに気晴らしや息抜きをすることが、家族にとって必要な時もあることだろう。
だが家族が本当にリラックスできるのは、患者や家族が真面目に治療に取り組むことを通して、病状が改善した場合だけだということは銘記しておいた方が良いと思う。