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「BPD患者の家族のためのガイドライン(J.G.ガンダーソン)」を読むーその3ー

目標:ゆっくりいこう」 を、前回に引き続き、かなり自由に読んでいくことにしよう。

(ただし今後もそうだが、場合によってはガンダーソン自身のテキストから離れて、かなり自由にー時には批判的にー読んでいくから、これから書くことがガンダーソンの主張と一致しているとは限らないので注意してもらいたい)。

このセクションの第二項は以下のようなものである。

期待し過ぎるのを止めること。達成することの可能な現実的な目標を設定すること。大きな問題を少しずつ解決していくこと。一度に取り組むのは1つだけにしておくこと。「大きな」目標あるいは長期にわたる目標は、失望と失敗に繋がる

ここで言われているのは以下のようなことと関連している。

境界性パーソナリティ障害(BPD)に罹患している患者の中には、 病前に成績が優秀だった者も少なくない。

またもともとの素因(過敏さ)と関係しているのであろうが、音楽や絵画などの芸術的才能に恵まれている者も稀(まれ)ならず見られるー 詩人のシルヴィア・プラス、女優のマリリン・モンローやジュディ・ガーラントなど、この疾患に罹患していたと推測されてきたアーティストは決して少なくない ーし、少なくとも 何らかの意味で<センスの良い>者の割合は明らかに多い 。

問題はこうした資質を社会的に活かすために必要な能力を、多くの場合に彼らが持ち合わせていないことにある。

そしてそうした社会的能力の乏しさは、これまでに述べてきたことからも分かるように、BPD患者本人やその家族がーそして困ったことにしばしばセラピストが!ー想像するよりもずっと深刻であることが多い。

それが充分に認識されていない場合、治療者も含めた周囲の人々が過大な期待を抱き、それに基づいてあまり現実的とは言い難い目標を設定してしまうことがしばしばある。

それは勉学や就労に関する目標である場合もあるし、自立へと近づくことを期待して、本人を一人暮らしさせるという目標である場合もある。

だが例えば対人関係上の問題を訴え、大学を休学するに至った患者が、社会的技能を向上させるための訓練を経ることなしに復学したところで、上手くいく可能性は低い。

当然ながら休学したところで別人になれるわけではないし、たとえカウンセラーに「悩み」を相談し、受容や共感をしてもらったところで、本人の対人関係上の能力不全が改善するわけではないからである。

今まで家事労働すらろくにしたことがない患者が、いきなり就職を目指すという場合も全く同様である。

常勤(ザナリーニの定義によれば週に32時間以上のペース)で仕事が継続できるかどうかは、彼らが自立できるかどうか、良い回復を維持できるかどうかと直結しており、BPDを治療していく上で最重要の課題と言って良いから、就労を目指すという方針自体が間違っているわけでは決してない。

ただし仕事をする場合にどのような能力が求められているかについて専門家から充分な指導を受け、その能力を身につけるためのトレーニングを繰り返しおこなわない限り、こうした患者が常勤で仕事をし続けるのはとても難しいのもまた事実なのである。

自宅で引きこもっている患者に関して、「一人暮らしをさせればしっかりするのではないか」という期待に基づいて、何となく親がアパートを借りてやるというケースも同じことだ。

(こうした対応が、治療者の「指導」に基づいてなされてしまうケースが今でもあって唖然とさせられることがある)。

だがそうした期待は、多くの場合には早晩(そうばん)裏切られることになるだろう。

どういうことか。

引きこもりを続ける患者ー必ずしもBPD患者に限らないーには多くの場合、社会的能力に関する深刻な不全が存在する。

そしてその不全は、親や多くの臨床家が想定しているよりも遙かに深刻であることが多いーすなわち多くの場合、「必要にして充分な小遣いを与えて温かく見守れば、いずれ何とかなる」ような問題ではないのである。

ただし患者に社会的能力の不全がみられること自体は、必ずしも致命的ではない。

足りないのであれば、それを学習し補えば良いからである。

問題はこうした患者には、社会的能力を他人からーこうした能力は、当然ながら他人から具体的事例を通して学ぶほかはないのだがー学ぶ能力それ自体が極めて乏しい場合が少なくないことである。

(この問題に関しては「学び/学ばれる関係」の不成立、という形で定式化したことがあるので、これがどれほど大きな障害に結びつくかについて知りたい方はお読みになると良いと思う[黒田章史:治療者と家族のための境界性パーソナリティ障害治療ガイド、岩崎学術出版、2014])

したがって多くの場合、引きこもりを続ける患者にいきなり一人暮らしをさせたところで、「しっかりする」などということは起こらない。

親の全面的な金銭支援の下に、一人暮らしを長年にわたって何となく続ける「だけ」に終わる可能性が高いだろう。

では患者の一人暮らしという問題について、ガンダーソンはどのように考えているのだろうか。

彼は以下のようなやり方を取るよう勧めている。

まず社会復帰訓練所に所属させ、次に管理人のいるアパートに移り住まわせるという風に、段階的にステップアップしていくと良いというのである。

一人暮らしや自立を目指すのは段階的に、というこの基本方針自体は、必ずしも間違っているわけではない。

だがそもそも、まず社会復帰訓練所に所属させるという方針はどの程度現実的なのだろうか。

社会復帰訓練所に参加し、充分な社会的学習をおこなうためには、患者がその施設で継続的に上手くやるだけの社会的能力を、既にかなりの程度身につけていることが前提となる。

残念ながらそうした能力を事前に持ち合わせている可能性があるのは、一部の患者だけだろう。

だからガンダーソンのこの方針は、「なんとなく」患者に一人暮らしを勧めてしまうような、乱暴な治療者に比べれば遙かにましであるものの、多くの患者にとってはさして現実的であるとは言えない。

こうした社会的機能の不全に充分に対処するためには、ガンダーソンが想定しているよりも遙(はる)かに基礎的な部分に関する訓練を積み重ねていく必要があるのである。

そしてBPDの治療にとって最も重要なのはその部分である。

こうした段階を踏まないでおこなわれる社会的技能に関する「トレーニング」は、所詮(しょせん)砂上の楼閣に終わる可能性が高い。

私が自宅において社会的能力に関する基礎的訓練をおこなうことの重要性を強調しているのはそのためである。