BPDは年齢によりどのように変化していくかーその2ー
さて境界性パーソナリティ障害(BPD)患者の心理社会的能力は年齢と共にどのように変化していくのだろう。
前回も述べたように、たとえ一部とはいえ症状が改善していくことは間違いないのだから、心理社会的機能もそれに伴い改善していくと期待したくなるのは当然だろう。
だが残念ながら、これまでになされた研究から、多くの場合にはそうならないことがわかっている。
それどころか、これらの患者の心理社会的機能は年齢と共に低下していく可能性があるのである。
(もっとも、以下で述べるように、これには「心理社会的機能を向上させるための適切な訓練をおこなわない限り」という重要な留保を付け加えておきたいが)。
たとえば「パーソナリティ障害に対する共同縦断研究(Collaborative Longitudinal Personality Disorders Study:CLPS)」に参加した216名のBPD患者のうち、研究開始時の年齢が比較的高かった者(35~45才)の心理社会的機能は、6年間の追跡期間の途中で、改善から悪化へと変化の方向が逆転した(Shea, M.T., Edelen, M.O., Pinto, A., Yen, S., Gunderson, J.G.ほか, Improvement in borderline personality disorder in relationship to age. Acta Psychiatr.Scand. 119, 143–148.2009)。
ちなみにこれは必ずしも比較的高齢のBPD患者に限って見られる現象とは限らない。
CLPSの追跡期間を10年まで延ばしても、BPD患者の社会的機能は全般的にー統計的に有意な改善を僅かに示しはしたもののー重篤な障害を示し続けたのである(JG. Gunderson, RL. Stoutほか;Ten-Year Course of Borderline Personality Disorder: Psychopathology and Function From the Collaborative Longitudinal Personality Disorders Study, Arch Gen Psychiatry. 2011 August ; 68(8): 827–837.)。
また大うつ病あるいは他のパーソナリティ障害の患者と比べた場合、BPD患者は研究開始10年経った後でも心理社会的機能障害が持続する可能性が高かった。
スペインでおこなわれた横断研究(ある特定の時点における、研究対象となる母集団の特徴を明らかにするようなタイプの研究)は、年齢区分をより細かく分けることにより、加齢に伴うBPD患者の病態の変化をより詳細に明らかにする目的でおこなわれたものである(Álvaro Frías, Carol Palma, Laia Solvesほか;Differential symptomatology and functioning in borderline personality disorder across age groups, Psychiatry Research,258,44–50,2017)。
この研究では、BPDの診断基準を満たした16才から65才までの患者169名を、年齢別に16〜25歳(41名)、26〜35歳(43名)、36〜45歳(45名)、46歳以上(40名)の4群に分けて比較した。
その結果は以下の通り。
まず症状面でいうと、若年群では身体的あるいは言語的な攻撃性や、自殺企図をおこなう患者の割合が高く、年長群(36才以上)では抑うつの重篤度のレベルや、強迫症状、身体化症状、不安症状を示す患者の割合が高かった。
併存疾患について言うなら、35才以下の群ではPTSDの併存率が高く、逆に46才以上の群では大うつ病の併存率が高かった。
これは同じようにBPDと診断されていても、患者が示す特徴は年齢層により大きな違いがあることを意味している。
BPD患者が年齢を重ねるにつれて、攻撃性や衝動性は次第に影を潜めていく。
他方でそれと入れ替わるようにして、抑うつや不安症状が目立ち始めるのだ。
すなわちBPDは、発現の仕方を変化させつつ継続していくようなタイプの疾患である可能性がある。
もう一つの重要な結果は、高齢者群は心理社会的機能、健康に対する満足度、身体的健康、そして心理的健康が、若年者群に比べて有意に低かったことである。
これはBPD患者が示す心理社会的機能の障害には、若年患者に目立つ衝動性や問題行動よりも、高齢患者に目立つ抑うつや不安といった症状の方が、より繋がりが深い可能性があることを示している。
もっともこれは、必ずしも患者に抑うつ症状や不安症状がみられる「から」、心理社会的機能が低下したことを意味しているわけではない。
心理社会的機能を妨げているのは、これまで述べてきたようなBPDの症状や、併存している精神疾患ばかりではなく、何らかの気質(temperament:人生早期に発現し、パーソナリティの基盤をなすような生物学的素因)が関連している可能性もあるためである。
そしてその気質的なものは、BPDに特異的なものかも知れないし、社会的機能あるいは就労能力を獲得し、維持することに問題を抱えている、多くの人々に一般的に共有されているものである可能性もある(M.C. Zanarini ; In the fullness of time, Recovery from borderline personality disorder , Oxford University Press,2019)。
それがどのような原因によるものであれ、BPD患者の心理社会的機能が低下した場合、失敗体験(例えば失業、離婚や別居等)を経験するリスクが増大し、実際にそのような経験を積み重ねていくことになる可能性も高い。
これは負のスパイラルを引き起こすことになるだろう。
心理社会的機能が低下し、失敗体験をーそして年齢を!ー重ねれば重ねるほど、BPD患者は人々と親密な関係を維持することや、何らかの形で職業に携わろうと試みること自体を回避するようになる可能性が高いからである。
それは彼らが抑うつ症状を増悪させたり、大うつ病を発症したりする可能性をさらに高めるだろう。
「社会的機能あるいは就労能力を獲得し、維持することに問題を抱えている、多くの人々に一般的に共有されている」ような要因を改善する試みをおこなうことと、BPDの治療に何の関係があるのか、訝しく思う人もいるかも知れない。
だがこれは彼らの心理的健康を維持向上させる上で、そして彼らの持続的な情動症状の悪化を防止する上で、重要な役割を果たすことになるのである。
ただし残念ながら、このような要因を改善し、BPD患者の社会的能力を向上させる上で、通常の職業訓練をおこなうことや、デイケアや作業所等に通所することはあまりー本当のことを言うとほとんどー役には立たない。
そもそもそのような場所に定期的に通い、そこで継続的な対人関係を維持する能力自体に問題を抱えている患者が大半であるためである。
拙著で詳細に論じたように、そうした能力をきちんと身につけるためには、家族(あるいはそれに相当する、生活を共にするような極めて親密な他者)の協力のもとに、長期にわたる(年単位の)訓練をおこなう必要がある(黒田章史;治療者と家族のための境界性パーソナリティ障害治療ガイド、岩崎学術出版、2014)。
それは患者にとって決して楽なことではないし、むしろー少なくとも短期的にはー不快なことばかりかも知れない。
だが先に述べたように、心理社会的機能を向上させることは、BPD患者の身体的健康や、健康に対する満足度、さらに心理的健康を向上させることとも関連している可能性が高いのである。
衝動性が高いのはBPD患者の基本的特徴の一つだから、短期的に得られる小さな「快」よりも、長期的に得られる大きな「快」の方を選ぶことは、彼らにとってとても難しい。
だがもし治療に際してそれが出来たなら、得られる長期的な「快(たとえば自立した社会生活がきちんと送れるようになること)」の大きさは、短期的に得られる小さな「快(たとえば治療者が一定期間優しくしてくれること)」の比ではないことは間違いないのだ。