トラウマをめぐる10の神話ー最新研究から解き明かす性格特性・レジリエンス・治療ー (ジョエル・パリス著、黒田章史・市毛裕子共訳)
自分で訳したから言うわけではないが、本書は専門家だけでなく、患者や家族にとっても、文字通り必読の書物である。
本書のタイトルに「神話」という言葉が掲げられていることから、一見、扇情的な内容を想像される方もいるかも知れない。
しかし、実際にはその正反対であり、トラウマに関する多くの通説を、科学的エビデンスに基づいて冷静に見直そうとする誠実な書物である。
パリスは、政治的・感情的なバイアスから距離を取り、精神医学や心理学の知見をもとに、トラウマとパーソナリティの関係を明快に描き出している。
とりわけ、「トラウマを経験したからといって必ずしも有害な結果がもたらされるとは限らない」「人間のレジリエンス(回復力)は過小評価されている」といった指摘は、臨床に携わる専門家だけでなく、広く一般の読者にとっても大きな示唆を与えるものだろう。
その一方で、本書の内容は、現在の「トラウマをめぐる言説」の中で当然とされている価値観や利害と鋭く対立する部分を含む。
パリス自身も、「(本書のような立場は)敵対的な反応を招くことを覚悟する必要がある」と語っており、原著の出版にあたっては、ある種の覚悟が必要だったことは間違いない。
実際、今回翻訳出版を進める中でも、編集担当者から「あとがきで自分の名前を出さないで欲しい」という要望を受けた。
(「訳者あとがき」の中で、しごく普通の編集担当者に対する謝辞だったものが、何やらものものしい誠信書房に対する謝辞に置き換わっているのはその要望に応じた結果である)。
科学的根拠に基づく、ある意味ではごく中立的な立場の書物であるにもかかわらず、それに編集者として関わったことが他の仕事に影響しかねないという現実には、少なからず驚かされた。
現代社会では「多様性」や「寛容」がしばしば標榜されるが、実際には一定の言説や感情的圧力によって、異なる視点が排除されがちであるという嘆かわしい風潮がある。
本書が、トラウマに苦しむ人たちへの新たな理解の扉を開くだけでなく、異なる視点を排除するような硬直した言説や思考に対して、健全な問い直しを促す契機となることを願っている。