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パーソナリティ特性という視点から見たPTSDーその2ー

生徒:前回は、PTSDの発症や、症状が長引くかどうかと、パーソナリティ特性、特に神経症傾向が大きく関連しているという話が出ましたよね。では、逆にパーソナリティ症(障害)と言われる疾患と、PTSDやトラウマとの関連はどうなんでしょうか。良く言われるのが、境界性パーソナリティ症(BPD)と幼少期のトラウマ、特に性的虐待(CSA)との関連なんですが……。

先生:あー、そこがね、結構重要なポイントでして。もちろんBPDの患者で、CSAの病歴が報告されることが多いのは事実なんですよ。そんなこともあって、これまでBPDの主な原因はCSAなんじゃないか、と疑う研究者も少なくなかったんです。でも、この本の中でパリスは、この トラウマ中心みたいな見方に疑問を呈してるんですよ。

生徒:どのような点に疑問を持ったんですか?。

先生:さっきも説明したように、CSAの経験を持つBPD患者も少なからずいるのは確かです。でも、ここが大事なポイントなんですが、BPD患者の大半はCSAの病歴を持っていないんです。虐待の性質、頻度、期間、加害者の身元といったパラメーターをきちんと配慮した研究によれば、CSA体験者はBPD患者の3分の1程度に過ぎません。

生徒:ああ、そうなんですか?。つまりCSAはBPDの原因として「必須」ではない、と。

先生:その通りです。ただし、CSAなどの幼少期の虐待は、BPDの症状を悪化させ、より重篤で慢性的な経過をもたらす可能性はありますし、自殺企図の頻度を高める可能性もあると考えられています。この意味で、CSAはBPDの主要な原因ではないが、追加のリスク要因ではあるとみなすことが出来るでしょう。

生徒:いやー. それは興味深いですね。では国際疾病分類の最新版であるICD-11で採用されたっていうことで最近注目を集めている「複雑性 PTSD(CPTSD)」についてはどうでしょう。これはPTSDと呼ばれてはいるものの、通常のPTSDとはずいぶん毛色の違う疾患のようですね。日本では、さる姫君が診断されたということでも有名になりました。

先生:まあそれはともかく‥‥この診断は、子どもの頃の虐待や家庭内暴力といった、長期間にわたって繰り返し経験したトラウマが、「感情調整の困難」「人間関係の混乱」「アイデンティティの不安定さ」といった、BPDに特徴的とされるような症状を引き起こすとするものです。この診断を提唱したジュディス・ハーマンは、BPDという診断が、特に女性患者に対して「烙印を押す」ようなラベルとして機能してしまっていることを問題視しました。

生徒:さすがフェミニズム運動家の面目躍如たるものがありますね。

先生:まあトラウマの被害者を責めるのを避けたいというハーマンの気持ちもわかるんですが、それがCPTSDと診断された人達を臨床的に救うことにつながるかどうかといえば、それはまた別の話ということになります。

生徒:それはどういうことでしょう?

先生:CPTSDは、「複雑性」と銘打っているものの、PTSDと呼ばれているのだから、普通はPTSDと同じ治療法に反応すると思いますよね?

生徒:えっ‥‥そうじゃないんですか?。てっきりそうだと思っていましたが。

先生:臨床家の多くもそう思ったわけです。ですが、最新の研究はこの考えを支持していません。実際には、複雑性PTSDの患者は、治療に積極的に関わったり、治療効果を得たりするのが極めて難しいことが知られているのです。

生徒:なんだかBPDの患者さんに関して言われていることと良く似ているような‥‥。

先生:まあそうですよね。だからパリスは、CPTSDというのは、トラウマ歴を持つBPDの患者さんの特徴と重なる部分がすごく多いんじゃないかと述べています。ある意味、BPDの再ラベル付けに過ぎないのでは、という見方ですよね。

生徒:再ラベル付けですか……。

先生:まあ、再ラベル付けだとしても、弊害がないならそれでも構わないのかも知れませんが、BPDをCPTSDと再ラベル付けしてしまうことには大きな弊害があるんです。

生徒:まあ、BPDとCPTSDって、それぞれの診断の背景にある考え方や治療のアプローチが、ものすごく違いますものね。トラウマ歴のあるBPDの患者をCPTSDと再ラベル付けした場合には、発症のメカニズムや治療方法といった根本的な理解がすべて置き換わってしまう可能性がある、ということでしょうか。

先生:BPDのほうは、遺伝的な素因にくわえて、育った環境や、さらには社会・文化的な要素まで含めた、かなり複雑な発症のしくみが想定されています。それに対して、CPTSDのほうは「複雑性」って名前がついてるわりに、想定されている発症のメカニズムは比較的単純で、ほぼ長期的・反復的なトラウマ体験が中心に置かれている印象があります。

生徒:うーん‥‥その違いって、治療に対する影響は大きいかもしれませんね。

先生:それこそがパリスが警戒していることです。つまり、BPDにおいて想定されているような、複雑な要因の相互作用という視点が失われてしまうと、本当に必要な治療が行われなくなる恐れがあるのではないかということです。つまり、トラウマに焦点を当て過ぎることにより、CPTSDはBPDの生物心理社会的原因をより幅広く理解することや、科学的知見の現状をより良く反映した治療を受ける機会を妨げることになってしまうかも知れないのです。

生徒:多くのBPD患者が、問題のあるパーソナリティ特性ではなく、古典的なPTSDのためにデザインされた治療を受けることになってしまう可能性がある、っていうことでしょうか?

先生:その通りです。

生徒:なるほどなぁ。診断名が変わることで、問題の見え方とか、アプローチまで変わってしまうかもしれないということですね。BPDっていう診断に伴う、その、スティグマ、偏見みたいなものを避ける意図もあるのかもしれないですけど、かえって患者の利益に反する可能性がある、ということですね。

先生:ええ、まさに。前回も述べたように、トラウマへの反応っていうのは決して一様じゃなくて、個人のパーソナリティっていうフィルターを通して形作られます。特に、遺伝的に規定されている部分の大きい神経症傾向の高さや、それと強く関連している感情調節能力の不全が大きく影響するんです 。だからCPTSDに限らず、PTSDという疾患を本当に理解して、患者さんにとってより良い支援を考えるためには、パーソナリティの役割っていうのを無視することはできないんだ、とパリスは述べています。

生徒:いやあ、これは非常に考えさせられる内容でしたね。トラウマという出来事そのものだけじゃなくて、それを受け止める側の特性っていうのがいかに重要かっていう視点は新鮮でした。

先生:そうですね. そのようなパターンを理解しようとすることはとても大切だと思います。今回はあまり触れられませんでしたが、だからこそ治療では、個人の持っているレジリエンス(回復力)を向上させることが重要なわけです。

生徒:今回はどうもありがとうございました。