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GAF71の壁ーその4ー

前回までに述べたことを纏(まとめ)めるならこういうことになる。

(1)「良い回復」と言える状態に達する境界性パーソナリティ障害(BPD)患者の割合は、ある時期まではゆっくりとではあるが、着実に増えていく。

(2)だが他方でBPD患者全体の平均値で考えると、GAFスコアは比較的低いレベルで推移し、さほど変化することがない。

なぜこんなことになるのか、不思議に思う人も多いだろう。

ザナリーニらがおこなった長期予後研究(マクリーン病院成人発達研究:MSAD)が、その疑問に答えるための鍵となるデータを提供してくれている(Zanarini, M. C., Frankenburg, F. R., Reich, D. B.St Fitzmaurice, G. The 10-year course of psychosocial functioning among patients with borderline personality disorder and axis ll comparison subjects.Acta Psychiatr Scand. 122, 103—109, 2010) 。

この研究によればMSADの被験者となったBPD患者のうち、研究開始以前に良い社会的機能を示していた者の割合は25.9%であった。

しかし10年間経過を追う内に、その80%以上が良好な社会的機能を喪失してしまうのである。

そして一旦良好な社会的機能を喪失してしまった後、再び良好といえる社会的機能を回復する患者は、その中の40%に過ぎない。

他方で研究開始以前に良い社会的機能を示していなかった74.1%のBPD患者のうち、約60%が良好な社会的機能を獲得する。

すなわちBPD患者が示す社会的機能は概して極めて不安定であり、一旦良好と言えるようなレベルに到達した患者がその状態を失ったり、逆に良好と言えるレベルに新たに到達する患者がいたり、といった経過を示すことが多いのである。

これはBPD患者が「良い回復」をどれくらい安定的に維持できるか、という問題と直結した、極めて重要な結果であることに注意すべきである。

なぜならザナリーニは、「良い回復(GAFスコアが61~70の区間に到達し、その状態を2年間維持することが出来ていること)」を、 以下の3つの条件を満たすこととして定義していたからである。

(1)少なくとも2年以上BPDの症状が寛解していること。

(2)親しい友人、あるいは人生の伴侶/配偶者との情緒的な関係を、少なくとも1人以上に対して維持できていること。

(3)確かな能力を示しつつ、常勤(週に32時間以上)のペースで仕事あるいは学業をきちんとやり通せること(この基準の中には、専業主婦などの形できちんと家事労働や育児が出来ている場合を含む)。

この定義からわかるように、BPD患者が良好な社会的機能を失うことは、彼らが「良い回復」を失うことに直結している。

「安定的に不安定」とは、その昔BPDの経過に関してよく言われた言葉だったが、「症状」に関してではなく、「回復」に関してということであれば、今でも良く当てはまるように思われる。

では「安定的に不安定」な「良い回復」以上のものを、一体どこに求めるべきなのだろうか。

ザナリーニは「良い回復」を構成する上記(1)から(3)までの規準に、

(4)社会的あるいは職業的な機能の減少を引き起こすような、重篤な併存疾患が存在しないこと。

を付け加えて「極めて良い回復(excellent recovery)」と名付け、これがGAFスコア71~80の区間に相当する状態であると見なした。

だが最初に述べたように、「極めて良い回復」を獲得できるBPD患者の割合は20年間で39%と、まことに少ない。

しかしながら希望につながるような要素もある。

BPD患者が「良い回復」を失うのは、必ずと言って良いほどーほぼ全ての場合において!ー仕事や学業にまつわる上記(3)の規準を満たすことが出来なくなる場合だからである。

逆に言えば仕事や学業にまつわる機能を長期にわたり維持することが出来るなら、それは彼らがー単なる「良い回復」を越えてー「極めて良い回復(GAFスコア71~80の区間)」を獲得することへと直結することになる。

そしてそのために最も必要とされるのは、これまでのBPD治療において強調されてきたのとは全く異なる要素ー患者自身の「何かを成し遂げようとする強い意志(determination)」や、とりわけ「挫折しても簡単には諦めずにやり抜く能力」ーである可能性が高い(Zanarini.M.C. : IN THE FULNESS OF TIMEーRecovery from Borderline Personality Disorderー. New York , Oxford University Press, 2019) 。

病気の性質上無理もないことではあるが、BPD患者の大半にはこうした能力が大きく不足している。

当然ながらこうした能力を上げるためには、相応の「辛さ」「きつさ」を伴った訓練が必要となるだろう。

(私自身は少なくとも15年以上前からこのようなタイプの訓練を一貫しておこなってきたが、時々「厳しい治療」などと評されることがあって驚くことがある。もちろん厳しいのは「社会」の側であって、私ではない)。

逆にこれまでなされてきたようなさまざまな治療 ーその中には弁証法的行動療法などの「専門的」とされる治療を含むー が、BPD患者が安定した社会生活を送るためにどうしても必要な「極めて良い回復」をもたらすことは、仮にあったとしても稀(まれ)であろう(もちろん通常の治療対応をおこなった場合と同程度の「効果」なら得られるだろうが)。

もともと弁証法的行動療法、メンタライゼーションに基づく治療、転移焦点化精神療法などの、BPDに対して従来おこなわれてきた「専門的」治療は、患者の社会的能力を上げることを目的として開発されたものではないからである(言うまでもないことだが、いわゆる受容・共感的なカウンセリングが、そのような領域に関して効果を示すことは更にあり得ない)。

BPD患者はこうした「きつい」「辛い」課題に一刻も早く取り組まねばならないのであって、他人に対して腹を立てたり、責め立てたりしている暇はないのである。

たとえそうしている方が、一時的には自分の生活や人生が満たされるような気がしたとしても、そうすることで無益に失われた時間は二度と戻っては来ないのだから。