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「BPD患者の家族のためのガイドライン(J.G.ガンダーソン)」を読むーその16ー

限界設定:率直に、しかし注意深く」という項目のさらに続き。

今回のテーマは、BPD(境界性パーソナリティ障害)の患者から暴力や虐待を受けた場合に、家族がどのように対応すべきかというものである。

こうした事態に対して、ガンダーソンは以下のように対応するよう家族に勧める。

癇癪かんしゃく、脅し、殴りかかること、そして唾を吐きかけることといった、家族に対する虐待を許さないようにすること。そこから立ち去り、後にその問題を検討するために立ち戻ること』。

ガンダーソンの、家族へのこの「アドバイス」を読んで、こんな常識以前のことをなぜ事新しく論じているのか、いぶしく思う人も多いかも知れない。

だがこのアドバイスは、実際には貴重である。

家族に対する暴力や虐待というのは深刻なテーマだが、それについてまともに相談に乗ってくれる治療者を探すのは極めて難しいためである。

これはもちろん、BPD患者に対してなされる治療の多くが、個人精神療法であることが大いに関係している。

個人精神療法を行っている場合、治療の焦点は患者の苦悩に向けられがちであり、患者が家族を含む他人に対してどのような苦痛を与えているかがテーマになることはーたとえあったとしてもーまれだからである。

患者が家族に対して社会的に許されない振る舞いをしており、治療者がそれにさしたる関心を寄せないのだから、いきおい家族は「自主的に」対応の仕方を考えざるを得ない。

それ自体は仕方がないとして、問題はそうした対応が、往々にして「家族の側が、変わるための努力を繰り返す」方向に行きがちであるという点にある。

患者の顔色をひたすらうかがい、ご機嫌を損じるようなことは出来る限りしないよう心がけること。

患者に声かけするときの言い方を、患者の希望や「指導」に基づいて変えていくこと。

患者の要求に応じて、ひたすら「金」や「物」を与え続けること。

こうした応対を延々と繰り返す家族は多い。

だが、残念ながらそれが奏効する可能性は極めて低い。

それどころか、こうした家族の「工夫」は、多くの場合には逆効果に終わるだろう。

BPD治療において重要なのは、つまるところ「患者自身が変わること」なのだー患者自身もそれを望んでいる場合が大半であるーが、上記のような家族の応対は、そのプロセスを進めていく上で助けにはならないどころか、むしろ逆行しているためである。

どういうことか。

言うまでもないことだが、たとえどのような理由があるにせよ、家族を含む他者に対して暴力や虐待をおこなうのは社会的に許されることではない。

衝動的行動をおこなっているのは患者の側なのだから、患者はそれを自身の問題として捉える必要があるし、それを変えていくための努力をするという責任を担う必要もある。

これは衝動性に対応する場合に限らない。

一般的にBPDの病状が改善するかどうかは、治療において患者がどれほど積極的な役割を果たし、努力するという責任を継続的に担うことが出来るかどうかにかかっているのである。

ガンダーソンはこの事実を極めて重視し、基本的な治療アプローチの1項目として取り上げた上で、治療初期段階においてこの方針について積極的に患者に告げておくよう、治療者に勧めている(JG . Gunderson ; Handbook of Good Psychiatric Management for Borderline Personality Disorder , American Psychiatric Association Publishing,2014[黒田章史訳;境界性パーソナリティ障害治療ハンドブックー「有害な治療」に陥らないための技術ー、岩崎学術出版、2018])。

しかるに、家族の側で「変わるための努力」をする責任を担い、それに一生懸命取り組むのに反比例して、患者の側での「変わるための努力」は乏しくなる傾向がある。

いやそんなことはない、患者のストレスや不安を引き起こさないような方向へと「周囲の人々(あるいは世界)が変わること」により、「患者自身が変わること」もまた促進されるのだ、と主張する人もいるかも知れない。

(たとえば患者の多くーそして嘆かわしいことに一部の治療者ーはそう主張する)。

だが些細な対人関係上のストレスをきっかけにして衝動的になったり、感情的に不安定になったりするというのは、そもそもBPDの典型的な症状の一つなのである。

それらの症状を継続的に変化させるに足るほど「周囲の人々(あるいは世界)が変わる」とはどのようなことなのか、少なくとも私には想像することも出来ない。

(家族が変わるための努力を積み重ねた末に、患者が家族の中で支配者のような地位を獲得し、一種の恐怖政治[?]を敷くに至るというケースはままみられるが、当然ながらそれが本人の問題の改善に結びつくことはない)。

すなわち「家族に対する暴力や虐待に対して限界設定をおこなう」とは、「周囲の人々(あるいは世界)が変われる範囲」の限界を、患者に対して明示することでもあるのだ。

「今のような状態で一緒に居るのは良くないと思う」と述べた上で、家族がその場を速やかに立ち去ること。

手に負えないほど暴れている場合には警察を呼ぶこと。

暴力や虐待に関して、家族に謝罪するよう、後々患者に求めていくこと。

金銭的被害が出ている場合には、小遣いを減額するあるいは無くす等の形で精算するよう要求すること。

これらはいずれも、「周囲の人々(あるいは世界)が変われる範囲」の限界を告げると同時に、何らかの形で自分の行動を修正する(変える)よう、家族が患者に対して求めていくような対応でもある。

これまでに述べてきたことからも分かるように、こうした対応をおこなうのは必ずしも家族のためではない。

変わることが出来なかった場合、そのことで一番の被害をこうむるのは患者自身なのだから。