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「BPD患者の家族のためのガイドライン(J.G.ガンダーソン)」を読むーその6ー

第2セクションである「家族環境:物事を冷静に捉えていくこと」のさらに続き。

例によってガンダーソン自身のテキストの紹介から始めよう。

会話の時間をとること。軽いあるいは当たり障りの無い内容についてお喋りをするのは有益である。もし必要であれば、会話をするための時間を予定に組み込むこと

これは前回の内容の補足と言って良い。

境界性パーソナリティー障害(BPD)の患者を抱えた家庭では、家族内で深刻なトラブルが繰り返し生じることが多い。

そのようなことが繰り返された結果、患者が家族との関わりを徹底的に忌避する、あるいは家族が患者と関わるのを恐れ、避けるようになることも珍しくない。

ガンダーソンはこうした事態を避けるために、さまざまな問題について議論したり、争ったりすることはないという合意のもとで、病気と関係のない気軽な話題について、患者と話す時間を積極的に取ることが重要であると述べている。

またそうした会話をおこなう際に、積極的にユーモアを交えることが望ましいと主張する。

それにより高まっている家族間の緊張関係や葛藤を、和らげることが可能になるのだという。

だがここまででも、うーん、と考え込んでしまう家族は少なくないだろう。

病気と関係のある話題だろうがなかろうが、家族がBPD患者と会話をすることにより、家族間の緊張関係が和らぐどころか、高まってしまうことが少なくないのだから。

それは患者や家族が、言い争いをしようと意図していたかどうかとは基本的に無関係である。

いやそれどころか、最初は和やかに始まったはずの会話が、意図しないうちにとんでもないトラブルになって終わった、といった事例にだって事欠かないのだ。

もし患者と家族の間で会話の時間を取ることが重要だと考えるならー私も重要だと思うがーまず何故このようなことが起こってしまうのかについて検討することから始めるべきだろう。

良くなされる説明として、BPDの特徴的症状である感情不安定性や衝動性が、こうした事態を引き起こしているというものがある。

だがこうした患者も、何のきっかけもなく感情的に不安定になったり、衝動的になったりする訳ではないのだ。

実際にはそうした問題は、患者が他人とコミュニケーションを行っている時に生じる、以下のような出来事をきっかけとして生じることが多いのである。

・相手の返してきた言葉が患者の予想外のものであったこと。

・面白いつもりで語った話が受けなかったこと。

・3人以上で話していた時に患者の発言が流されてしまったこと。

・患者にはよく意味の分からない言葉をかけられたこと。

・患者の姿を見た時に相手がフッと笑った、あるいは笑ってくれなかったこと。

・患者が喋ったことにより相手の表情、口調、視線に予想外の変化が生じたこと。

こうした一見したところ些細な出来事の数々が、患者にとって大きな苦痛が生じるきっかけになり、その結果として感情的に不安定になったり、衝動的な行動が生じたりするのである。

このような対人関係やコミュニケーションに関する問題は、感情不安定性や衝動性だけでなく、認知症状(解離症状や被害念慮まで含めた、一過性の精神病的症状)まで含めたBPDのほぼ全ての領域の病理が発現する上で、大きく関与していることが明らかになっている(たとえばEbner-Priemer UW, Kuo J, Kleindienst Nほか;State affective instability in borderline personality disorder assessed by ambulatory monitoring. Psychol Med. 2007 Jul;37(7):961-70.)。

だから患者と家族との間で会話が継続的に成り立つためには、こうした問題を回避し、患者がコミュニケーションからドロップアウトしてしまわないように工夫する必要があるのだ。

他方でBPDの患者には、言葉に関してしばしばかなり特異な「変わった」使い方をする傾向が見られる。

これも患者が家族を含めた他人とコミュニケーションをおこなう際にトラブルが生じやすくなる大きな原因の一つである。

もし家族が患者と継続的に会話を成り立たせたいなら、こうした病理に対する治療的対応も同時におこなっていかねばならない。

その方法の概略については拙著「治療者と家族のための境界性パーソナリティ障害治療ガイド(黒田章史著、岩崎学術出版、2014)」で詳述したので、関心をお持ちの方はお読みになると良いと思う。

そこで求められているのが、通常とはかなり異なる関わり方であることがわかるだろう。

中心となるのは以下の2つの関わり方である。

・「豊かな語り口で語ること(小さな子供に話しかけるような語り口をするよう心がけること)」

・「<凡人>として語ること(小さな子供に言葉を教える時のように、言葉の「普通の使い方」と「変な使い方」を区別し、「普通の使い方」をするよう指導していくこと)」

以上のような関わり方をするのは、通常の会話であればあり得ないことだ。

だが家族との会話が落ち着いて続けられるようにする上で、こうした関わり方をすることは、どのみち避けて通ることは出来ない。

深刻なトラブルが生じている最中であってもー短時間かつ短期間であればー家族と患者が「気楽な会話」を楽しめる可能性があるのは事実だろう。

だが家族と患者が「気楽な会話」を継続的に楽しむことが出来るのは、上記のような介入を通して、患者が十分な改善を示した後であることは銘記されるべきである。