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「BPD患者の家族のためのガイドライン(J.G.ガンダーソン)」を読むーその4ー

今回から第2セクションである「家族環境:物事を冷静に捉えていくこと」を読んでいくことにする。

(いつものことだが、場合によってはガンダーソン自身のテキストから離れて、かなり自由にー時には批判的にー読んでいくから、これから書くことがガンダーソンの主張と一致しているとは限らないので注意してもらいたい)。

第2セクションは以下のように始まっている。

『物事を冷静に落ち着いて捉えていくこと。意見を述べるのは当たり前のことである。その調子を和らげること。食い違いが生じるのも当たり前のことである。その調子もまた和らげること』

これはBPD(境界性パーソナリティ障害)患者が、些細なきっかけ(あるいは家族には良くわからない事情)で不安定になったり、怒り出したりした時に、家族がどのように対応したら良いかに関する基本方針を述べたものであるとされる。

ガンダーソンは、危機が発生したときに家族が強く感情的に反応するのではなく、一息入れた上で落ち着いて対応するー「調子を和らげる(tone down)」ーよう勧めている。

そしてこのような態度を促進する上で、BPDの病理について家族が勉強することが有益であるとする(ガンダーソンは「感情的に不安定であること」、「別離(いわゆる<見捨てられ>)状況に対して弱いこと」、「思考が極端になりやすいこと」の3つを挙げている)。

それによって、例えトラブル状況にあっても、患者と冷静で率直なコミュニケーションをおこなうことが可能になると言うのである。

私もまた家族がこの疾患の病理について勉強し、患者との間でトラブルが生じた際に「調子を和らげる」よう努力するのは良いことだと思う。

ただし私が賛同する理由は、そうすることによりガンダーソン言うところの「冷静で率直なコミュニケーション」が可能になるからではない(多くの家族が良く承知しているように、大半の場合にはそのようなことは起こらない)。

家族がこの疾患について無関心であるよりは、きちんと関心を持って勉強した方が良いに決まっているからである。

またもし不幸にして既に患者との間でトラブルが発生しているのなら、感情的な諍(いさか)いを続けるよりも、家族の言い分を「調子を和らげ」つつ、一応伝えるだけは伝えた上で、その場を早々に立ち去った方がずっと良いからである。

むしろ本当に重要なのは、患者との間でトラブルが起こってからどうするかではなく、そもそもトラブルが起こりにくい家庭環境ーすなわち治療的な家庭環境ーをどのように作り上げていくかだろう。

そのような家庭環境を作り上げることが可能なのか、疑問に思う人だっているかも知れない。

事実、ガンダーソンが作ったガイドラインの中に、このテーマに関連するような記述はー先に挙げたような実効性に乏しいものを別にすればー全く存在しない。

だが適切な治療的介入さえなされるなら、そうした環境を作り上げるのは決して難しいことではない。

そのための方法はいくつもあるのだが、たとえば家の中から「極端なもの」「過激なもの」を出来る限り取り除いていくよう家族に生活指導をするというだけでも、患者とのトラブルをかなり減らすことができるのである。

(この方法も含めて、拙著「治療者と家族のための境界性パーソナリティ障害治療ガイド(岩崎学術出版)」の中には、「トラブルが起こりにくい家庭環境」を構築するための方法が詳細に記してあるので、興味をお持ちになった方はご一読されたい)。

どういうことか。

もともとこうした患者には、興奮を追い求める(sensation seeking)傾向がある。

これはBPDの特徴の一つである、衝動性を示すものーすなわち症状の一部ーであるが、患者自身は必ずしもそうとは思っていないし、自分にとってマイナスの影響があるとも思っていない。

なぜなら興奮を追い求めること自体は、少なくとも現代社会では必ずしも「悪いこと」とはされていないためである。

だがこうした患者にとって、激しいものや極端なものに触れるのは、決して見かけほど安全ではない。

何故ならこの疾患に罹患している患者は、対人関係で生じる大小さまざまな変化や刺激ーコミュニケーションの躓(つまづ)きーにすら耐えられないほど、脆弱で過敏な傾向があるためである[黒田章史:治療者と家族のための境界性パーソナリティ障害治療ガイド、岩崎学術出版、2014]。

たとえばこうした患者が、ディズニーランドなどの娯楽施設でハイテンション気味に朝から晩まで楽しく遊んだ後で、疲れて終日寝込んでしまう、生活リズムを乱す、抑うつが悪化する、さらにイライラが強まって家族に当たり散らすなどといったことは珍しくない。

「当たり散らす」とはいうものの、もちろん多くの場合、患者は意識してそうしているわけではない。

例えば「親の声のかけ方がウザいから」、あるいは「親がいちいち干渉してくるのでうるさいから」腹が立つのだ、といった名目でトラブルが生じる場合が大半である。

したがってこうした際に、「親の声のかけ方が良かったかどうか」、あるいは「親が過干渉であるかどうか」について、患者と家族がいくら議論したところで状況は改善しない。

このような事態を避けるためには、どうしても家族面接を用いて治療者がこの疾患の特徴について説明し、本人が「激しいもの」「極端なもの」に触れる機会を、常日頃から減らすよう指導しておく必要がある。

先に挙げた娯楽施設の場合で言えば、遊ぶのは良いとしても、後で調子を乱さなくて済む程度の時間で切り上げるーたとえば夕方までに帰宅できるようにスケジュールを組むーよう、患者や家族に対して教えるのである。

(誤解のないように付け加えておくなら、こうした制限は一生にわたるものではなく、患者がきちんとした治療を受け、回復していくにつれて、ある程度の無理は利くようになっていく場合が多い)。

「激しいもの」「極端なもの」は、もちろん娯楽施設で思い切り遊ぶことだけに限らない。

残酷な描写のある小説、映画、テレビドラマ、ゲームやインターネットサイト。

リストカットをしている写真や動画を収集できたり、「辛い」「死にたい」「薬飲んだ」といった報告をお互いにし合うことの出来るSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)。

自殺の仕方や殺人事件について詳しく書かれた書物。

「いじめ」とも「冗談」とも取れるような過激な言葉が飛び交うバラエティ番組。

患者がこうしたものからー少なくとも病気が充分に回復するまでー離れるように指導するのは、トラブルが起こりにくい家庭環境を構築していく上で欠かすことは出来ない。

患者自身が求めずとも「極端なもの」「過激なもの」に接してしまうことだってある。

患者の目の前で両親がしばしば夫婦喧嘩を繰り返すこと。

両親の内のどちらかーあるいは双方ーが、配偶者に対する不満を患者に対して激しい口調で繰り返し述べること。

TV番組の出演者に対して、家族(たとえば父親)が一方的にーまあTVに向かって言っているのだから、当然そうなるのだがー罵倒すること。

このようなタイプの「極端さ」や「過激さ」もまた、患者の不安定さに直結することが多いから、自宅の中からできる限り取り除く必要がある。

「極端なもの」「過激なもの」に触れることによる患者の不調は、治療者が積極的に指摘していかない限り、患者自身でさえ気付くことは難しい。

したがって治療を始める際に、治療者が以上のような問題について患者や家族にきちんと説明し、自宅で「極端なもの」「過激なもの」が生じることに一定の歯止めをかけておくのは、トラブルの起こりにくい家庭環境を築いていく上で不可欠と言って良い。